見出し画像

6章-(6) 香織の帰寮延期?

午後2時過ぎ、電話がかかってきた。ママが1番に電話に飛びついた。      しばらくハイハイ、と返事だけ返しながら、聞き入っていて、最後に
「でも、すぐ参ります・・いえ、やはり気になりますから・・」
と、ママは電話を切った。動揺しているようだった。

「どうなんだって?」                                                                                  と、兄が立ち上がりながら、訊いた。

「開けてみたら、クリッピングした所から血がにじみ出ていて、別の所にも脳梗塞を起こしていたんですって。その対処で、時間が時間がかかったそうなの。また集中治療室に戻っているそうよ」
「それじゃ、面会謝絶じゃないの?」
「ガラス越しには見えるはずよ。前にそうだったから・・気になるわ・・、また脳梗塞を起こすかもしれない、とも言われたの。起こらないかも知れ  ないが、起こるかも知れないと、覚悟はしておくべきだ、って・・」

香織はドキンとした。パパはほんとに危ない状態なんだ。ネムノキの森で 言ってくれた、あの時のパパの言葉は、自分がいつかそうなるかもしれない予感があって、香織に遺言みたいに言ってくれたのかもしれない。

「ビリのままだっていいんだよ。今を楽しんで、青春を思いきり楽しむと いい。飛行機乗りは、いつどんなことで、事故に巻きこまれるか知れないんだ。鳥一羽がエンジンに迷いこんでも、それだけで飛行不能になって何百人かが命を落すことだって、ある。乱気流もあれば、着陸失敗もあるし、ハイジャックに見舞われることもある。僕の仲間もすでに2人亡くなってる」

それほどに危険の多い仕事だから、パパは体調管理はしていたのだ。パパがタバコを吸ってるところを、香織は一度も見たことはないけれど、たまに 少しのお酒は楽しんでいた。でも、最後に結城君たちをウッドドールに招いた時は、ジンジャーエールしか飲まなかった。体調が良くないのを、感じていたのかも知れない。

貴史兄がジャンパーを着こんで、さあ行こうぜ、と皆をうながした。
「ちょっと待って。おとうさまのために、やっぱり吉野さんに来て頂くようお願いしておくわ」

ママはすぐに電話をかけ始めた。志織姉がママのコートとバッグを用意した。

貴史兄は車のエンジンをかけて、温め始めた。外は雪でも降り始めるのでは、という重い曇り空だった。北風が吹きつけていた。

香織はリュックを背負って、一番に車に乗りこんだ。姉がママを伴って追いついてきた。

病院に着くと、ママは横田医師の診察室を訪ね、詳しい話を聞いてきた。
「くも膜下出血症は厄介な病気で、亡くなる人も多いが、パパの場合、軽くすみそうだったのに、脳梗塞を起こした。今後も気をつけないと、また起こす可能性もある。人によって、起こり方がいろいろというのが、厄介なんだそうなの」

ママはそこまで説明すると、思案するように、3人に声をかけた。   「どうしたものかしらね。貴史はバンクーバーで教授がお待ちでしょうし、志織だってそうでしょう。香織も含めて、3人ともどうする?」 

「オレは残る。マグレガー教授はわかってくれる。論文より命を先に考えろ、って言ってくれたんだ。卒業が1年伸びることになるだろうけど、そうなったっていい、オレは残る」

「あたしもそうする。親友が亡くなって、がっくりだったのに、この上、 パパの死に目に会えずに、逝かれるなんてごめんだわ。後悔したくない  もの」

「香織はどうする?」
と、ママと志織が同時に言った。

残りたい、と言いたかった。でも、約束のニットの仕上げを延び延びにしたまま、当分先延ばしにしていいだろうか。パパ、おねがい、逝かないで!  せめて約束が終るまで、生き延びていて!

「オリは寮に帰ってもいいよ」
と志織が言い出した。
「危なくなったら、夜中でも電話するから。3時間ちょっとで来れるじゃ ないの」

「そうだな。全員でオロオロしていても、らちが明かないな。香織は寮に 戻ってろ。オレが新幹線まで、送ってやるよ」

「そうね、それがいいかもね。香織は1月までに送り終えなくてはならないものを、抱えているんだものね。ママも携帯で連絡するわ」

携帯はダメなの、ママ、と言いかけて、香織はこれも口をつぐんだ。志織姉は真夜中でも電話するって言ってるし、実際にする人だ。そうなって、アイを起こすことになっても、許してもらうことにしよう。

香織は思いをはっきり言えないままに、兄の車で送られて、帰京することになったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?