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 義姉とランチ

私がパソコンいじりをしていると「お昼にしましょ」と声をかけてくれる のが、義姉だ。もう57年目になる同居だが、口げんかもしたことがない。私は日々有り難いと思っていて、心から尊敬している人だから、けんかの 種が見つからない。でも時々「あ、また薬飲み忘れてるよ」と、注意する ことはある。毎週土曜に週一回の「骨粗鬆症」の薬を長年飲んでるのに、  確実にその日に飲めた方が少なくて、忘れて2~3日遅れたりするから。

呼ばれて食卓に着く時の楽しみなこと! 先日は「海苔巻き12個」と 「いなり寿司10個」が、きれいに出来上がっていて、「干し大根の酢漬け」「茹でホウレンソウ」「ワカメ汁」「ショウガの酢漬け」「ハッサク2/3」が私のために並んでいて、私は歓声を上げて、写真を撮った。(義姉は糖尿病だから、果物は少なめにして1/3にしてる )。孫たちが近くに住んでいれば、分けてあげられるのにねぇ、と言い合いながら、2,3度同じ物に、おかずを添えて食べきることになる。

「おねえさん、今朝からこれ専用のご飯を炊いたの?」
「そう、3合炊いたよ。白飯も自分用に少し残して」(私は玄米ご飯党で、義姉は頑として白米党だから)
「神業だわ。台所は近いのに、こんなの作ってるの、私まったく気がつかなかった、お恥ずかし!」

「すること考えること、いっぱいある人だから」と義姉が私のことを言ってくれて、ほっとしながら恥じ入る。書き物して、昼寝したり、読書したり、数独をやったりもしているから。家計簿整理や生協注文などもあるが。

この日のランチは手のこんだ豪華に見えるものだったが、時には「よその家じゃ、こういうランチはないかもね」というのも、登場する。

山梨の実家から野菜や「そば粉」が届けば、濃くておいしい「そばがき」。サツマイモが届けば、「ふかし芋」。「トウモロコシ2本とホウレンソウベーコン炒め」。お彼岸の頃は「ぼた餅・おはぎ」。しかも25個ほど作って、大半は冷凍し、子どもたちが来ると、お裾分けする。
私たちの昼は、ぼた餅3~4個と味噌汁、緑菜の和え物など。「肉饅とキャベツ蒸し」の日もある。週に何度かは麺類で、うどん、そうめん、そば、ラーメン、焼きそば、冷やし中華などを、色々にアレンジしてくれる。そう そう、パンの日も、ホットケーキの日もある。義姉は焼き上がりにこだわり、工夫を続け、実にうまく焼けるようになった。ふっくらといい色合いだ。

義姉は庭と畑仕事を受け持ち、味噌造り、キャラブキ、ジャム作り、らっきょう漬け、ぬか漬け、その他、たくさん作っては、子や親戚に配るのを楽しみにしている。赤飯をふかすのも得意で、子らにせがまれたりしている。

義姉は自分がこの件は引き受ける、と決めたら、どんな日にも必ず実行してくれる。自分は食事抜きで、MRIやCT検査を受ける日も、朝食作りと洗濯を済ませてから、出かける。人に何かを分けてあげる時は、最上品を選び、自分は残り物で喜んでいる。

満州から10歳で弟(8)妹(6)と3人だけで引揚げ、1ヶ月後に母親が父の遺骨と共に帰国再会できたが、貧しさ故に進学はできなかった。中卒で活版所に勤め、20代で結核のため長い闘病となり、婚期を逃したが、40代の頃、結婚話が幾つかあった。「私は今のままがいい。断り状は書けないから、書いて」と頼まれ、数回私が代理で書き送ったことがある。私が役に立った数少ない一例だ。この時、私の子どもたちを可愛がる方を選び、私と暮すことも選んでくれて、どんなに嬉しかったことか!

幾つも病気を抱えて薬の種類は多いし、膝や足裏が痛いのに我慢強く、愚痴は言わず、約束は必ず守り、人を喜ばせるのが大好きで、誠実な人だ。

だから、友だちに小姑さんとの同居は大変でしょ、なんて言われると、
「私は家事経営と夕食担当だけの、主婦半人前なの。姉がいてくれるから、私はこの年まで長生きできてる。姉はぜったい天国に行ける人よ」と、何人もの友人に言ったものだ。高血圧で朝に強い姉と、低血圧で夕方から元気な私の、長年の助け合いでもあるのだ。

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