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(86) 惜別

「また1軒消えていたわ、おとうさん」

と早苗は報告しました。

「工事はいよいよ近いな。あの家はどうだった?」
「まだだいじょうぶよ」
などと、ここ数ヶ月、早苗は父と、ある通りの家々を気にかけ合っていました。

通学路のM通りの家々が、取り壊されたり、庭をけずられたりしているのです。いずれは元の3倍以上あるという〈大通り〉が、貫通するそうです。

通りすがりの家々に過ぎないのですが、通るたびに、季節ごとに咲く庭の花に目を留めたり、濃い緑の葉の先に, 薄黄緑色の新芽が伸びていることに春を感じたり、楽しませてもらったものです。

残るは、あと数軒。                                                                                          その中に、問題の庭がありました。石塀や庭木のたたずまいが、何10年にもわたる、家人の丹精のほどを偲ばせます。


IMG_20210926_0011惜別

「あの庭を、そっくり移せないものかね」

他人事ながら、やきもきする父に、早苗は微笑を誘われながら、いつしか同じ気持ちになっていました。

そう言えば、この10年ほどの間に、あちこちで道路拡張工事があり。町は確実に様変わりしていました。

それはまた、たくさんの家や庭が、人々の暮らしの思い出といっしょに、コンクリートの下に埋められたことでもありました。ちょうど、ダムの湖底に沈んだ家々のように・・。

「何千年かのちに、遺跡発掘したら、道路跡の下に、住居跡が見つかるよね、おとうさん」

「そうだね。どれ、カメラででも、なごりを惜しんでくるとしようか」

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