4章-(4) 土文字とヒヨコ
学校の方は順調だった。普段着のまま少し早めに登校して、みさが来るのを待って、お手玉を教わった。最初は1つを投げ上げて、落さず取るところ から。次に両手に持った2つの球をかわるがわる反対の手に移して取るのも、なれていくのが楽しかった。みさの方は3つ玉で、70を越えるように なっていた。
勉強の方は、熊野武先生に、かよはほめられた。文字を覚えるのが早く、 きれいに書けると。
それもそのはず、家に帰ると、庭先の土の上に、棒きれで文字を書いたり 消したりして、練習していたのだ。
それを近くで見ていた保が、ござの端にいざり出て、指で土の上に真似を しだした。ハはすぐに書けたし、タは順番を書いてみせると、学校のしげるより早く覚えてしまった。ツやキも書けた。かよは棒きれを探してきて、保に渡した。指よりもくっきりと書けるようになった。
おキヌさんにそのことを話すと、湯のみを落して割ってしまったほど驚いた。 「元気になって、板車で動けたら、学校へ行けるかもしれんなぁ」 「うち、覚えた字は、保ちゃんの近くで書いてみせるわ。タモツって書けるよ、きっと」
おキヌさんは早くも涙ぐみながら、喜んでくれた。
次の日の午後、おくさまがお昼寝されて、おつる様を胸に抱いたかよは、 ぶらぶらと門の外へ出た。保はもうへやに入れてもらったようで、ござも 消えていた。
学校の帰りに、たぶん今日はおつる様を見せてあげられるよ、とみさに こっそり伝えておいた。足はしぜんにあの小道へと向かった。藪の向こうで、お手玉の音がしている。みさがかよを待ちながら、3つ玉を100まで 目指してやっているのだ。
「101、102・・」 「わあ、とうとう越えたんなぁ。すげぇ、おめでとう」 かよは拍手した。
「ほら、見て、おつる、みさねえちゃんがお手玉、上手にしようるよ」 みさがお手玉をやめて、駆け寄ってきた。
「ひゃあ、かえらしいなぁ。おつる様、笑うたが。うち見て笑うたで、うれしー」 みさはかよの抱き布の中のつる様をのぞきこんで、大にこにこしている。
こうして会えるのも、ほんのちょっとの間だった。それでも、みさの喜ぶ顔を見ると、かよはまた来ようと思った。
「うちな、7日に1度、帯江の実家に帰る約束になっとってな。あさってが その日なんじゃ。今度戻ってきて、学校へ行く日に会おうな」
と、みさに伝えて、その日は帰った。
2度目の里帰りの日になった。おくさまはこの時も前夜に、ごほうびにと、小さな包みを下さった。前の時と同じ〈5円札〉が包まれていた。帰るたびに下さるおつもりらしい。とうちゃんはそれを仏壇の引き出しにしまって くれながら、かよの嫁入りか、何か大きな時に使おうな、と言った。
とうちゃんは前日からじいちゃんの家に泊っていて、白神家の田の作業を 3日続けることになっていた。
今度も前の晩に、おキヌさんは米とみそを、おトラさんはかきもちを、持たせてくれた。啓一も卵を3つくれて、風呂敷に前と同じように、そっと包みこんであった。
ところが、翌朝まだ薄暗い頃なのに、かよが門の外の階段を下りたあたりで、啓一が何かの袋をもって、門の外まで追いついてきた。あたりを見まわしてから、言った。 「あんな、ヒヨコをな、とめ吉にやりとうてな・・」 と言いながら、袋を下へ置くと、ふところからヒヨコを1羽取り出して、 紙にくるんでかよの袖の中に入れた。もう1羽も同じように紙にくるんで、もう片方の袖に入れた。
「こげん早う起きてきてくれたんね。うちに2羽もくれて、ええの? かあちゃんに叱られるで」
「ええんじゃ。かあちゃんは鶏小屋にゃ近づかんし、わしに任せとるけん。ほんまに12羽も生まれてよ、2羽は保にやるけど、とめ吉にもやりてぇんじゃ。ここにえさも持ってきたけん、あとは草を小そう切ってやりゃええ。ネコにとられんよう、気ぃつけてな」
「ありがと!とめもすえも、あんちゃんまで喜ぶわ。ほんまにありがとな」
今度は1升瓶の水は持たないので、楽だった。それより両袖の中でときどきピイピイと鳴くヒヨコが愛しくて、足取りはどんどん速くなった。
三の割に来る頃には、川岸のどの家も朝飯の煙が上がり、台所の音がしていた。
家への橋を渡ると、玄関からとめ吉が飛び出してきた。
「ねえちゃんが来るころじゃと思うて、待っとったんじゃ。すえももう起きとるで。すえ、ねえちゃんじゃ!」
すえも飛び出してきた。
「あれ、ピイピイ鳴いとるのは、なんじゃ?」 すえが自分の頭の上からの鳴き声をききつけて叫んだ。 「ええもん、啓ちゃんにもろたんじゃ。ヒヨコ、にわとりの赤ちゃんじゃ。まず、荷物を下ろすわ、揚げせんべと卵が割れるけん」
2人はかよの腰に手をかけて、いっしょに家へ入った。
かよは風呂敷包みを下ろして、卵と揚げせんべの包みをそっと取り出すと、今度は着物の袖から、大事そうに1羽ヒヨコをとりだした。もう1羽も・・。包んだ紙にはヒヨコの便がついていた。啓一は着物を汚さないように、紙にくるんでくれたのだ。