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7章(7) 大病の大石氏を許してあげて!
あなたのノートのお便りで、気づかなかったことに考えさせられました。「大石氏にとっては、今は何もかもそれどころじゃない気分なのよ。自分がガンで再発、と想像してごらんなさいよ。たとえどんな身近な人からもらった本だって、私ならもらっても、ほっとくと思うなあ。先生が途中まで読んでやめたかもしれないとしても、ムリないと思うよ。病気って、とても人を変えます。良くも悪くも、ね。堪忍して上げて欲しいなあ。お見舞いに行って上げることは、凄くいいことだと思う。ただ、何を言われても、許してあげてほしいの。あなたの方が大人になって。
それからもう一つ、昔、軍隊で洗脳されて、そのままの頭でいられる人というのは、非常に単純で、年齢はいま少なくとも八十歳以上だと思う。私などは洗脳どころか、最初から軍国主義の申し子で、大石氏もそうだと思うけどその年代の人間は、回りの人たちが、戦後たやすくコロコロと、別の思想に衣替えして、知らん顔してることに対して、ものすごく反撥を感じたの。 結局は、それがものを書くということの原動力になった点で、私も大石氏も多分同じではないかと思う。でも私は甘いし、K党の人で、心底、尊敬する人に出会えるチャンスに恵まれたから、割と素直に変わる事ができたけれど変わり損なった大石氏はそれだけのことよ。今の時代に文学やってて、K党を否定し続けるにも、もの凄いエネルギーが要ったはずよ。
私など、K党への気持ちというか、関わり方は、あなたに似てるわ。私は、選挙の時の「清き1票」と、年2回3千円カンパするだけで、後は何もしないから。自由でいたいという心情も、あなたと同じ。活動して、はっきり した態度を取っている人を尊敬しているのも同じ。こういうことは プライバシーで、人に訊いたり、答えたりすることとは違うと思っています」
あなたの大石先生弁護の内容が、もっともだと心から頷けて、自分の心の 至らなさ、狭さ、単細胞、一方からだけの見方というものを、つくづくと 思い知らされました。
そうよね。ご病気で身も心も弱り切っておいでの時だものね。「重い病気にどっぷり首まで浸かった状態にある人の心理って、端から見てると、どうということもなく見えるけど、普通ではないの。そういう人を、慰める力は誰にもないけど、せめてそういう状態にある人の、言葉や態度に傷つかないであげて」という言葉が、身に沁みました。私が会を抜けるとか、そんなことは言わないことにするわ。何も訊かれなかったことにする。
ところであなたが面白いと思った『アルジャーノンに花束を』は、私も読んで、とても胸打たれました。この10年で30版も読まれているのね。知能指数70の青年が手術を受けて知能指数が上がり、ついには185にまでなっていく「悲劇」をずっと経過報告という形で1人称で書いてるのね。初めは誤字だらけ、句読点もなくひらがなの文章から、どんどん変わっていくのを1人称だけで表現してる。知能指数が上がることで、得るものと失うものがきちんと書かれていて「昔の私も人間だった」という主張が感動的よね。
あなたの新築のお家がいよいよ出来上がったのね。お金をかき集めて支払うこととか、住宅金融公庫の最終申請に動き回るとか、たいへんでしたね。特に、大きなガラス戸が何枚もあって、カーテンがたくさん必要な家だもの。同情します。私の家の応接間の、中くらいの大きさの窓のカーテン6枚分で14万円したのよ。あなたがびっくりするほどの値段だったから、稼がねばという気持ちになったのも、当然よね。「今まではお金のために書いたことは、一度もなかったけれど、今度ばかりは、ちょっと収入があれば助かる。神さまはこういう形で、私の最後の力を、絞り出させて下さるのかな」 なるほど、そう思って,頑張って下さいね。ファンとして応援してます。