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2章-(5) ボストンのパッチワーク
● あの屋根裏部屋の物語が詰まっているような部屋、壁は1mを超えるほどの分厚さ、古い時代とのつながりを空想させてしまう、この屋敷の建物の独特の雰囲気、それだけでも充分に魅せられたが、さらに素晴らしい目の保養になったのは、ルーシーボストンが自ら製作した、パッチワーク作品だった。
ダイアナさんが白い手袋をはめ、私たちの1人を助手にして、大切に1枚ずつそっとめくって説明してくれた。全部で10数枚ほどあった。あとでダイアナさんの著書でわかったのは、ルーシーは、40歳前に2枚ほど作っていたが、60代半ばから本格的に取り組み、92歳までに22枚の作品を残しているらしい。差し上げた物もいくつかあり、舘には残ったものだけなのだ。写真撮影が禁止なのは、パッチワーク作品のポストカードを、売りたいためらしかった。それがこの舘の維持費の一部となっているようだった。
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入館料を取る代わりに、入り口に「寄付金箱」が置いてあり、大人は1£ 見当、子どもはその半分のようだった。
● ルーシーは夏は庭園仕事にうちこみ、バラを当初300種ほど集めて 育てていたそうだが、今は200種ほどに減っていた。それでも香り豊かな美しい庭だった。冬になると、ルーシーは家にこもり、パッチワークと執筆をしていた。手元では、複雑なパッチワークを作り上げながら、頭の中では作品の構想を練り、主人公たちを動かしていたのだ。
ヴィクトリア朝時代の少女なので、学校で裁縫を習い、腕の良い裁縫師だった。カットワークや刺繍も得意だった。彼女の作品の特徴は、使っている布の模様を活用したこと。また、ベッドカバーなど痛みやすいことを考えて、使い古しの布は決して使わず、新しい布か残り布を利用したこと。81歳 から82歳で作った『万華鏡』と題された作品の労作振りは、実に見事だ!剣先のカッテイングが、ぴしっと合っていて、しかも同時に花形がたくさん浮き出している。
この頃には、彼女は目を悪くしていたので、近所の子どもたちが、学校帰りに立ち寄り、ルーシーのために針に糸を通す手伝いをした。そして最後の作品の、92歳で作った「イスラムのタイム」では、もう手探りのタッチだけで作っていたので、まわりのボーダーは完成できなかったという。
●1mを超える壁の厚さについては、1798 年に火事が起こった時、11 世紀 からの建物のオリジナル部分は免れ、18 世紀に建て増しした部分のみが焼け落ちたそうだ。このことは『グリーン・ノウの煙突』に描かれている。
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● ルーシーがこの家を買った時、ポルタガイスト(イギリスのオバケのような存在) の住む屋敷と噂され、気味悪い屋敷を買った女性とみられ、村人にはうさんくさく思われた。戦時中は〈スパイ〉と疑われ、戦後は〈魔女〉とも見られたが、今では彼女の著作の力で、〈誇り〉に思われているそうだ。
● 私はこっそり質問してみた。ルーシーはこれほど大きな屋敷と敷地を、 買えるほどリッチだったのか、と。ダイアナさんは半分肯定、半分否定の 微妙な表情でイエースと答えた。市長であった父親は、ルーシーが6歳の時に亡くなったが、その遺産でこの家を買い入れるほどにはリッチだった。
しかし、戦争のためポンドが値下がりし、財産は目減りした。戦後は著作で凌いでいたが、それもたちゆかなくなり、1990年、98歳で亡くなると、銀行からの莫大な借入金が残されていた。その穴埋めのために、ピーターとダイアナ夫妻がたいへんな苦労をしてきた。今も、これだけの家屋敷を維持するのは、どれほど気苦労が多いことかと察せられた。