4章-(1)6/20 ランサム号で湖渡る
◆旅程=モーリー →→ボウネスのホテル・ベルズフィールドへ →→湖畔で昼食 →→コニストン桟橋からランチ (launch=快速の船) に乗って、ジョン・ラスキン記念館へ→→コニストン湖上周遊 →→ホテルへ
● 朝7時、ゴルフコースへ出て、太極拳で体をほぐす。Sさんも私の真似をする。すぐ間近に フォックスグラブズ (=ジキタリス・キツネの手袋とも ) の濃いピンクの花が群生していた。この花は、バスの窓から至る所に見えた。イギリスではごくありふれた野草らしい。
● 8:30 バスでウインダミア(ミアは古語で「湖・海」の意味)のボウネスへ240㎞走る。途中の休憩所で、私はエビアン (天然水) とリンゴを買った。 Yさんは「おお、気味悪!」と口では言いながら、蛇の形の極彩色のお菓子を、自分で袋にすくって入れている。児童館の人たちへのお土産だって。 Iさんが「そんな物を同じバスに乗せるのかと思うと、おおイヤだ!」と 抗議したけど、Yさんが聞くはずはない。
窓の外はなだらかな草丘がえんえんと続いていた。Hさんは私が持参した「アーサー・ランサムまとめノート」を読みふけっている。
● 12:30分 ベルズフィールドの宿に着いた。が、チェックインには早すぎて、荷物はバスにのせたまま、近くの湖畔へ出かけた。宿は湖畔側から見た方が、堂々として立派に見えた。
土曜日のせいか人が多く、日本人もたくさん見かけた。湖畔巡りの馬車や ミニ列車に乗っている人達もいた。
昼食のために、ごく大衆的旦食堂に入り、飲み物とサンドイッチですませた。紅茶の砂糖袋の裏に、ワーズワースの詩が、小さな文字で印刷されて いて感心した。店の雰囲気とはまるで違う、高尚な感じがして!
THE SOLITARY REAPER 『ひとり麦刈る乙女』
Whate'er the theme the maiden sang, 娘は何の歌をうたっているのか
As if her song could have no ending; まるで果てもないごとく
I saw her singing at her work, 身をかがめ 鎌をふるいながら
And o'er the sickle bending, 歌いつづけていた。
I listen'd , motionless and still, 私は身じろぎもせず、聞き惚れた。
And as I mounted up the hill, 丘をのぼって行きながらも
The music in my heart I bore, 調べは 心に鳴り響いていた。
Long after it was heard no more. 聞こえなくなって ずっと後までも。
Wordsworth ワーズワース (遠藤 訳)
● コニストンの桟橋近くまでバスで行き、渡し船の「ランサム号」に乗って湖を渡り、対岸の「ラスキン記念館」へ向かう。今回の旅で、私が最もふしぎに思ったのが、この訪問計画だった。せっかく事前勉強を続けて、現地を見に来たのに、他にも見るべき所はいくらでもあるのに、ラスキンに時間を割くとは! それは同行の人達も同じ思いだったらしく、「ラスキンって何者?」と何人にも質問された。添乗員の吉松氏までも「ラスキンって何をした人でしたっけ」と聞かれ、ますます奇異な感じがした。私の記憶の限りでは、1851年に『黄金川の王様』を著して、近代児童文学のさきがけとなった、というくらいのことで、首をひねるしかなかった。
後に英文パンフを読んで、たいへんな大人物、イギリスを代表する文化人で、悲劇の大天才であったことがわかり、これはイギリスをよくご存じの 中央大学の池田正孝先生の〈はからい〉であったか、と納得した。
● 余談だが、コニストン湖を船で周遊中に、向こう岸に白い煙が高く太く見えた。火事よ、あれは!と興奮して皆で注目した。が、サイレンの音も、消防隊が駆けつける騒ぎも聞こえず、燃えるにまかせている感じだった。翌日、ホークスへっドで、ガイドのバーバラに聞いてみると、1700--1800年代には、火災保険のバッジを購入して、家の外に張り出しておかないと、火事になっても消火してもらえなかったそうだ。ワーズワースが9歳から下宿したホークスヘッドの建物の壁には、ちゃんとそのバッジがあった。今の時代にこの政策が? まさかね! 結局、あの火事のことは謎のままになった。