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2-(4) 天女、転落
カキの木のわきを曲がれたと思ったのに・・。
うわあ! 階段の上のみんなは、総立ちで叫んだ。その叫び声がいっせいに悲鳴にかわった。
自転車は曲がりきれずに、道をななめにつっきって、まっすぐに田んぼの中へとつっこんだのだ。
マリ子はいっしゅん、天女になって、ふわっと空を飛んだ。あっと思うひまもなく、バッチャーン、ドッカーン、グジャッ! 植えたばかりの稲田の どまんなかに、ベチャッと投げ出された。
いってっー! さっきのすりきずに泥水がしみる。マリ子は自転車の下から、 左足をひきぬいた。こんどこそ泥まみれだった。空色のスカートも手も 顔も・・。
スカートの油汚れと破れ穴は、さいわいにも、まったく目立たなくなって いた。自転車は泥にまみれて、ペダルだけがまだ勢いを残して、空回りしていた。
「何やっとんじゃ、見ちゃおれんっ」
バシャバシャと水音を立てて近づいてきたのは、正太だった。ズボンのすそをまくり上げ、靴はぬいで、ソックスは泥色に変わっていた。
お兄ちゃんの方は、道ばたで、運動靴をぬごうかぬぐまいか、もじもじして動けないでいる。そのまわりに、俊雄やしげる、良二などが階段をおりて 群がっていた。
マリ子はべそをかきかけて、正太のせっぱつまった小声に、声をのんだ。
「竹次おっちゃんが、走って来よるで。はよ、出ろっ」
正太が自転車を引き起こした。田はにごり、稲はたおされ、たたみ一枚分 ほどは見るかげもなくなっていた。
竹次さんの走ってくる姿が見えた。寺の階段のずっと東の方から、山際の 竹やぶ沿いの道を、竹カゴを背負い、鎌をもった竹次さんが、何かわめき ながら、こっちへ向かって来ていた。
どうしよう、どうしよう。マリ子は思わず、正太がひっしでかつぎ上げて いる自転車の荷台に、取りすがった。
「どなりゃあすむんか? 早う何とかせぇ。話が進まんで」
取り巻いていた子どもたちのうしろから、しゃがれ声がした。岡田の
おっちゃんだ。紙芝居の自転車を引いて、知らぬ間に来ていた。竹次さん はようやく黙った。うなだれているマリ子に、小言と文句をあびせまくって いたのだ。
「植え直しさせるんか、親を呼ぶんか、早うせにゃ、日が暮れよるぜ」
みんないっせいに辺りを見回した。いつのまにか 夕闇がおりかけていた。
マリ子は泥だらけでびしょぬれ服のまま、ふるえていた。夕風はうすら寒い。正太もぬれた足を、もぞもぞさせていた。岡田のおっちゃんはまさに、救いの〈黄金バット〉として、現れたのだった。
マリ子はひそかに、口をとがらせていた。自分が悪いのはわかってるけど、何度もあやまったのに、ぐじぐじ長々と説教されると、がまんできない。
どうすれば許してくれるの! わかるようにはっきり言って! でも、口に 出しては言えない。稲を台なしにしたのは、たしかにマリ子なのだから。
「よけぇな口出ししやがって」
竹次さんはどなり過ぎてかれた声で、いまいましそうに、おっちゃんに言い返した。いつもは見下して、あいさつもしない岡田のおっちゃんに、口出しされるのは、がまんならないのだ。
正太が思い切ったように、顔を上げて言った。
「マリッペに田植えはできんけん、わしが今からさっと、植え直すけん」
「さっとやこ、植えられてたまるけっ」と、竹次さんはまたどなった。
岡田のおっちゃんは、いつもの場所に自転車をすえて、紙芝居の準備を しながら、ひとりごとのように言った。
「こどもに植え直しさせるやこ、あほじゃ。くず米作って、損するぜ」
だれかがクフッと笑った。すぐに笑いが伝染して、今まで息をひそめていたみんなが、はればれとしてつつきあった。
あほうじゃて。損するんじゃて。そんなら、マリッペも正太も、何もせんでええが。そしたら、マリッペをけしかけたわしらも、ほっとすらぁ!
竹次さんの負け、だった。
岡田のおっちゃんはそしらぬ顔で、みんなにどなった。
「さあ、始めるで。水あめのいるもんは並べ」
みんな押し合って、並んだ。
竹次さんはいまいましそうに顔をゆがめ、カゴをぐいっと持ち上げ、帰って行った。植え直しは、明日にでもまわす気なのだ。皆の見ている前で、植え直しをするなど、そんなみっともない姿を、見せる人ではなかったから。
岡田のおっちゃんが、マリ子の方を見て言った。
「はよ帰って着替えてけぇ、かぜ引くで。熱いもんでも飲め。正太、自転車を押してっちゃれ」
その言葉をきいたとたん、マリ子は破裂するように泣き出した。こらえて いた涙がいちどにあふれて、おんおん泣いた。お兄ちゃんが困ったように、マリ子の背に手をかけた。
「あほか、マリッペ、いまごろ泣きょうる」
あきれて言ったのは、しげるだ。それから思いついたように、自分の頭を たたいた。
「しもうた、かけしときゃよかった。マリッペが泣くか泣かんか・・」
「マリッペでも、泣くんじゃのう!」と、俊雄。
俊雄のバカバカ! 信じられない顔するなんて。
「おっちゃん、マリッペを泣かしたが」
良二がせんべいをくわえたまま、おっちゃんを見上げて言った。
「わしがか? そんな覚えはねぇぞ。ま、泣きてぇやつは、かってに泣け」
おっちゃんはそっけなく言うと、紙芝居の始まりをつげる拍子木を、カッチカッチと鳴らした。