(54) 妻の節穴
出がらしの茶をすすりながら、勝さんはしみじみと台所を見渡しました。 流し台や板かべの汚れが目立ちます。
35年だものなあ。子どもたちが独立して出た後も、妻の明るさにまぎれて、気づかずにいました。
あいつが入院している間に、台所の大改造してやるか。段差をなくし、明るく居心地よく・・。
勝さんは数日ぶりに、目をかがやかせました。これから2ヶ月の ひとり暮らしに、秘密の目標ができました。
2階への階段には、手すりがいるな。2度と転げ落ちないように・・。骨折するとはなあ!救急車で運ばれた時の、妻の蒼白な顔がうかんで、勝さんはすぐに設計士に電話をしました。
やがて大工がやってきて、取り壊しにかかりました。勝さんは妻を見舞うほかは、自適の身ですから、雑物整理をつづけます。
板かべを剥がしていた大工が、自分を呼び立てています。
「だんな、ちょっと、ちょっと」
2センチほどの節穴の内側に、丸めたメモ用紙が押しこんであります。開くと、妻の文字でした。それも書きなぐったような・・。
〈勝のバーカバカバカバカ!〉
おっ、なんだ、こりゃ? 勝はつぎつぎともみくしゃを開けてみました。
〈自分勝手よ、なによっ!〉
〈ハラ立つ!すぐどなってばっか! むしゃくしゃくしゃ!〉
〈ちゃんと しまいまで 聞いて!わたしにも 言わせろっ!〉
〈どなるのだけは 許せない! 悔しい!〉
けんかのたびに負かしたつもりが・・、妻はうさ晴らしをしてた! こんなとこで・・。
では、あの明るさは?
深い衝撃で、勝さんは思いました。こんどは、オレがちゃんと節穴になってやらねばな、と・・。ふいに、ぎゅっと抱きしめたくなりました。黙ったまま、妻を・・。