4-(2) 校庭へ練習に
その晩、新しい自転車が来た。
「おうじょう(苦労)したちこ。自転車を1台余分に引っ張って乗るのは、むずかしのう」
おとうさんはしきりに汗をかいていた。
おかあさんの新車はあずき色で、スカートのまま乗れるように、ハンドルの手前が大きくカーブし、くれたようになっている。
「マリ子、おかあさんによう教えてやってくれ」
おとうさんにも頼まれて、マリ子は得意になってうなずいた。
翌朝はすばらしい天気だった。6時からのラジオ体操を、寺の階段下で皆といっしょにすませ、朝飯もすませた。
「ほんなら、よろしうお願いします」
おかあさんが日がさと布バッグをもって、マリ子に頭を下げた。マリ子は さっそく注文をつけた。
「そげなかっこうじゃ、おえん。練習するんなら、転んでもええように、ズボンはいて長袖の服着て、かさじゃのうて、帽子をかぶらにゃ」
「うわぁ、本格的じゃね」
おかあさんは笑って、すなおにズボンにはきかえに戻った。
マリ子はその間に、赤チン、ほうたい、手ぬぐい、水筒、あめ玉・・と 思いつく限りの品をリュックにつめた。それを背負って、野球帽をかぶって、準備完了。
おかあさんの自転車を外へ出した。新品は見るのもさわるのも気持ちが いい!
「学校まで、うちが乗せたげる」
「いけんが、2人乗りは。私は歩くつもりなんよ」
おかあさんは先生らしく、きまりは守るのだ。
「車は通らんし、だあれも通っとらんし、だいじょぶじゃ。すずしいうちに学校に早う行かんと」
マリ子は押し切って、むりやりおかあさんを荷台にすわらせた。
「しゅっぱーつ!」
ペダルをふむと、自転車はなめらかに走り出した。なんて気持ちのいい!
おかあさんは荷台に横座りになって、サドルのうしろをしっかりつかんだ。
「転ばんでよ。そげんとばさんで、もっとゆっくりやって!」
「うるさいな。心配なら、うちの腰にしっかりつかまり!」
すばらしい乗り心地だ。ハンドルも車体も安定して、ペダルはしっかり足になじむ。サドルは低めで、いざとなれば足先を地面につけることもできる。
「マリちゃん、あんた、何しとん! ちゃんとハンドル持ってよ!」
おかあさんがわめいた。川ぞいの道をとばしているうち、いつのまにか マリ子は両手をハンドルから放していた。2人乗りでもうまくやれることにワクワクして、やめる気になれない。
「おまわりさんに見つかってみ。2人乗りで両手放ししとったら、ぜったいつかまるよ。お願いじゃけん、ハンドル持って!」
おかあさんの声は悲鳴に近かった。マリ子はしぶしぶハンドルに手を戻した。それでも、手のひらをまるくして、グリップをいつでもにぎれる形に して、こっそり両手放しを続けた。おかあさんには、そこまでは見抜け なかった。
小学校の門を入って、自転車を止めると、おかあさんはとびおりて、肩を大きく落とした。やれやれ、やっと着いたという表情だ。
「早う自分で乗れるようにして、2度とマリちゃんには乗せてもらわんわ」おかあさんは心配のあまりに、ふんがいしていた。
「早うそうなるとええけど」
マリ子は肩をすくめた。おかあさんはむっとした顔で、荷物を朝礼台の陰に置いた。
「このハンドル持って、押して歩いてみ」
さっそく、始まりだ。おかあさんに自転車をわたした。
おかあさんはいきおいこんで、自転車を押し始めた。でも、すぐにふらついて、自転車は右へ右へとかたむいていく。やれやれ、時間がかかりそうだ。
小学校の校庭には、人影はなかった。
マリ子は、教員室の開いた窓の中に、担任の田中先生がいるのでは、と気にしていた。一番会いたくない人だ。おかあさんといる時は、なおさらだった。両親が先生の娘であるマリ子を、田中先生は猫なで声で特別あつかい したがる。
それで、4月の転校した初日から、マリ子は学校で居心地の悪い思いを、 何度か味わっていた。〈ひいきもん〉というかげ口が聞こえた日など、気にしないたちのマリ子でも、ちょっと肩が重くなる。
家に帰って、男の子たちとはねまわるのは、気分直しのためでもあった。
うれしいことに、窓ぎわに姿をみせたのは、家庭科の桜田先生だった。 マリ子は両手をふって、先生にあいさつを送った。
校舎の前の花だんには、真っ赤なサルビアがむらがっていた。背の高いグラジオラスの白や赤の花もはなやかだ。それより高いのがひまわりで、教員室の窓を背に、黄色い顔を並べていた。