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7章(12)武川さんの迷いと決断
いつぞやK女史に依頼された「3人称体のあじさい寮物語」を、220枚書き上げ、荷造りを終えたところだけど、自己嫌悪です。なるべく軽く、楽しく、優等生的でなく、読み易く・・とかの要望に応えられたとも思えないし、私の、この中途半端さ! K女史自身も,作品選びには思い悩んでいて、何度も「自分の感性に頼るしかない」と思い返すのですって。
亡くなられた大石氏の作品を、いくつか読み返してみて、古くなっていないことに驚きました。『教室205号』に感動して,涙ぐんだ箇所もあちこちありました。文体が爽やかで美しい! 大石会のメンバーの集まりは、その後も吉田宏氏を中心に,集まることになっているのです。1周忌とか3周忌とかも、宗派はないのに、先生を思い出すよすがとして、続ける申し合わせをしました。
ところが、先日武川みづえさんとお会いした時「もう書くことは終えようと思う。大石会も遠慮することにするわ。『くるみのギター』が、児童文学者協会の協会賞候補に上がり、私の最高の作品とほめてもらって、もうそれだけでいいの」とおっしゃるの。終える気持ちは固まっていて、線引きをもう終えてしまっている感じだった。
「これから書くべきことも、子どもとの接点も見当たらないし、どんな物を書こうかという気持ちが、まるで浮かばない」とおっしゃったの。お子さんのない方だし、すぐには何とも応じられなくて、私も口ごもってしまいました。
彼女はそれで、創作には見切りをつけて、翻訳に移ろうと、神宮輝彦先生の教室に、生徒として、この1年ずっと通い続けて、先生にも目をかけられ、ぜひおやりなさい、と言われたのですって。ところが、私の『ハリスおばさん モスクワへ行く』の訳文を読んでみたら、自分にはこうはできない、とてもできないと思ってしまった、と言われて、私は返す言葉が出ませんでした。「モスクワ」は、確かに私ひとりで、全力を挙げて取組んで,苦しい思いをしましたが、今読み返してみると、もっと簡潔に書けばよかった、と 自分で恥じ入っている部分もあるものだから、彼女の前途を阻む事になる なんて、とんでもない、と思いました。でも、落ち込んで、方向を失いかけている時には、どんなことも衝撃になって、もっと落ち込むのかも、と思えて、何も言ってあげられないままになっています。私自身も書き手として、自分の力の無さ、センスのなさは、いつだって感じてるし、慰めるとか打ち消すとか、おこがましい行為に思えて、私にはできないです。
あなたは40代、50代に、たくさんの〈書く財産〉を貯めておいたのが、今生きているのね。書き直して整理していく、ということ、それはそれで 立派と思います。それだけは真似して、書けるうちに貯めておこうと、思うわ、バオバブの同人誌に残すとかして・・。
その後、武川さんの決意が固かったことは、その行動で、つぎつぎと証明 されていきました。彼女は時間をかけて、順に計画を実行され続け、夫君と2人で長くお住まいだった家屋敷を、仲よくしていた姪たちの親族に譲ってしまわれ、ご夫妻である有料ホームへ移って行かれました。以後の彼女からの連絡は、まったくなくなってしまいました。今ごろどうなさっておいでか、と思いを馳せるだけになっています。