5章-(4)衝撃の決断
平穏な日々が続いていた。みゆきはあと数日で、またママやちはる姉に会える日だと、楽しみにしていた。スミ伯母さんもいっしょに行くのかな、行くだろうな、とそれもワクワクだった。
そんなある朝、父が出勤前の背広姿のまま、新聞にざっと目を通していた時、「おおっ、これは!」
と大声を上げて、食い入るようにある記事を読み始めた。
みゆきはパパの弁当を包み終えて、何事かとパパを振り返った。
「こりゃ、土屋だっ!土屋一家が、死んだっ!」
ええっ! みゆきもその新聞へと飛びついた。
顔写真などはない。ただ岸壁から引揚げる車の一部の写真が載っていた。 記事に目を走らせると、車のナンバーから、土屋昭彦氏のもので、4人の 遺体が確認されたとある。一家心中の原因などは調査を待つことになる、 という写真は大きいが短い記事だった。
みゆきは手も身体も震えて震えてならなかった。なんということ! こんな結末を迎えるなんて! あれほど大胆で、大らかで、やりたいことは何でもやりぬいてきたおじさんが、こんな最期を選ぶなんて!しかも一家全員で!
明美はどんな気持ちで、父や母に従ったのだろう。あの人なら逃げ出しそうなほど、パワーにあふれていたのに。震えながら、みゆきは胸に封印してきた明美を思い出していた。
浮かんでくるのは底抜けに明るい表情と、自分勝手ではあったけど思いつき豊かで、人を惹きつける魅力もあった明美だった。あれから3ヶ月以上、 一家はどうやって過したのだろう。
パパは、新聞を手にしたまま、ドサッと座りこんでしまった。
「これじゃ、たまらんよ。文句のひとつも言ってやろうと思ってたのに! 謝罪させて、何年かかってもいいから、少しは誠意を見せろ、とぶつける つもりでいたのに!」
台所で食器を洗っていたスミ伯母が、 「内藤先生は、今日欠勤にするんか、遅刻して午後出勤にするんか、学校に今すぐ連絡せんとおえまぁが! 座ってなんかおられんぞっ!」
と、元教員らしく、パパに活を入れた。
パパはようやく立ち上がって、都立高校に電話連絡し、授業のある3時限目からの出勤を伝えた。それから時計をみてママの私立校へも連絡を入れた。ママとはつながらなかったらしく、うちへのTELをお願いしてから、パパはまた畳にドサッと座った。
「死ねば、当人は何もかも帳消しと、思えるんだろうな。残された者は、 無念やるかたなしだ!」
パパの言う通りにも思えたが、みゆきの明美への怒りや恨みは、いたわしい思いに変わり、それから胸しめつけられるような哀れみが湧き上がってきた。おじさんもおばさんも、生き残る道を選べば、どんなことだってできただろうに。そして明美も幸彦も貧しさを知るにしても、生きて笑うこともできたのに。別の形の幸せだって得られたに違いないのに、死を選ぶなんて!なんという決断! 子どもまで巻添えにするなんて! 無念と哀れみで涙があふれ出し、体中が震えてへたりこんでしまった。
スミ伯母がみゆきを急き立てた。 「みゆき、学校はどうすんじゃ?あんたが休んでどうなるんじゃ。はよ行って、ちゃんと勉強しとき!」
伯母に抱え上げられて、みゆきはやっと制服に着替えた。エイに話さなくては。エイがどう思うか知りたかった。
エイは家を出て来たみゆきを見ると、すぐに声を上げた。
「何かあった? 顔が真っ青! 泣いたな、ショッキングなこと?」
みゆきはうなずいた。歩きながら、打ち明けていた。
「隣の家の人たち、パパを連帯保証人にした人たち。あの一家が、一家心中したの、車で海に飛びこんで」
エイは仰天したように、はっと立ち止まり、ええっと言ったきり、目を丸くして黙った。それから、うめくように言った。
「ひどいね。無責任で、恥知らずで、どうしようもない家族だ。家族の誰かひとりでも、恥をかいても、なんとか立ち直って仕事して、生きていこうよ、と言うべきなのに。諦める、ていうより、楽な方に逃げたんだ。死んで責任を果たせるわけないのに!」
エイは怒り声を発しながら、みゆきの肩を抱き寄せて、いっしょに学校へ 歩み始めた。
「恨んでても、やっぱ相手が死ねば辛いよね。みゆきは時間をかけて忘れるしかないよ。あたしは、うちの親父が、そんな道を選ばないよう、祈るしかないけど・・」
みゆきはエイに肩を抱かれながら、2人で黙って歩き続けた。
「おっす、何かあったのか、2人とも」 と、自転車が側に止まって、米山君が声をかけてきた。
すぐにエイが答えた。
「あったよ、大ありなんだ、ね、みゆき。中身は話せるようなことじゃないけど、大変なことだよ」
「ふうん、中身は聞かないけど、辛い事は忘れること、この前も言ったろ。忘れるのが一番さ」
「そうだよね、いいこと言うじゃん、米山君、ハハハ、見直したよ」
「エイに見直されるとは、オレも大したもんだな、ハハハハ」
それだけで、米山君が走り去って、みゆきはほっとしていた。
教室の教卓の矢車ギクが、まだ爽やかに咲き続けていて、打ちのめされて いるみゆきを慰めてくれるようだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?