10-(6) 1組の金子先生だ!
マリ子は実は、ドキドキしていた。なんのはずみか、女の子たちの先頭に
させられて、なりゆきで男子のふりは続けていた。もちろん、痛快で、 すかっとして、面白いのはたしかだ。
けれど、どこまでやれるか、まったく自信はなかった。田中先生に面と むかって、この調子で言えるだろうか。それすらあやぶまれた。背中の あたりが重い気がする。
だからベルが鳴り、席について、教室の戸が開き先生が現れるまで、マリ子のドキドキは最高潮に達していた。気分が悪くなりそうだった。クラスは いっしゅん静まり返った。
ところが、入って来たのは、となりの1組担任の、背の高い金子先生 だった。マリ子の肩の力がふうっとぬけた。
金子先生は、手に持ったプリントをかかげて、クラスを見回して言った。
「学級委員はだれじゃったかな? 田中先生は今日は休まれとるから、静かにこの算数のプリントをやっとれ」
とたんにクラスは破裂した。というより、女子の叫びが強かった。
「やったでー!」
「ついとるー!」
女子に男子も加わって、これ以上ないほどの雄叫びを上げた。
「静かにせんかっ! 2時間目は体育じゃったな。外でドッジボールでも やるか。わしも2つのクラスを見るけん、手がまわらん・・」
ますますさわぎは大きくなって、先生の声が聞こえなくなった。
「・・学級委員!」と先生。
三上裕子が前の席で、ぱっと立ち上がった。
横山和也も中ほどの席から、ゆっくりと前へ出た。
「これを配ってやらせたら、また集めて職員室へ持ってくるんじゃ。国語のプリントも後でわたすけん、ええな」
先生の姿が消えると、手のつけられないさわぎになった。
まゆ子はろうか側の席から、うしろの勝子にむかって、大きな声で言った。
「タヌキのやつ、パンのことがばれたけん、頭が痛うなったんじゃあ。 ハハハハ、いい気味じゃあ」
勝子も負けずに言い返した。
「それに決まっとるで。教室に来るんがきょうてぇ(こわい)んじゃ、 ハッハッハッ」
あっちでもこっちでも、女子の笑い声が続いた。
三上裕子は女子にプリントをひとりずつ配りながら、小声で何か言っていたが、マリ子のところに来て、何を言っていたのかわかった。
「分数のかけ算の問題じゃ。やり方がわかりゃ、すぐ終るけん、先にすませような。わからん時は、うちにきいてな」
「わかった。じゃけど、裕ちゃんは、うち、て言うことにしたん? わし、じゃのうて?」
マリ子はそっと裕子にたしかめた。裕子は肩をすくめて、マリ子の耳に口を寄せた。
「慣れん言葉は言いにくいな。うち、言わにゃよかった。男子になろう、 やこ」
マリ子も思わずうなずいて、裕子の手に自分の手を重ねた。言いだしっぺの裕子が、なにやら責任を感じているらしい。マリ子と同じように、これからどうなるのか、不安になっているのだ。
マリ子は何と返していいのか、言葉が見つからなくて、だまってプリントにかかった。ほかの女子たちはプリントは無視して、おしゃべりしたり、歩き回ったり、おとなしく計算にかかっている男子のじゃまをしたり、勝手きままを続けていた。
マリ子と同じ西浦に住む、大屋の加奈子がとなりのクラスから2組をのぞきに来たのは、給食の終った昼休みのことだった。
「マリちゃん、マリッペ!」
大きな声でマリ子を呼んだ。マリ子がふりむくと、加奈子は4人ほど仲間を引きつれて、手まねきしている。
「なに? ドッジボールやるん?」
マリ子は気らくに立って行った。ところが、加奈子はマリ子の肩をぐいと 引き寄せると、ろうかに引っぱり出した。それから、せかすようにマリ子のうでをゆすった。
「なあなあ、2組の女子は男になって、男子をおどかしたて、ほんま?」
「だれに聞いたん?」
マリ子は聞かずにはいられない。となりのクラスだから、いずれ知られるにしても、早すぎる。
「そりゃ、2組の男子が来て、うちらのクラスの男子に話しとったんじゃ」
加奈子は言いながら、どっと吹き出した。