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4章(6) 5月 私の人生細切れ

折り返しのノートが、思いがけない早さで届いて、ドキドキしながら封を切りました。前回の私の便りに「電話をくれなかった」と、恨めしげに書いてしまって、その後で、あなたがどんなに大変な状況の中で、ノートに詳しく数頁にわたって、その日以後のことを書いて下さったか、なまじ電話でおろおろと話し合うよりも、ずっと心のこもった思いやりを頂いたのだ、と気づいたの。

今回のノートで、葬儀屋さんが集金に来た時、「奥さんは童話作家なんですか?」なんて訊かれたので、「だいじょうぶ、これはニセ札じゃありませんよ」と冗談さえ言った、部分にクックッと笑ってしまって、これだから、  ミコさんは素敵なんだよ、とつぶやいたことでした。

夜ひとりは怖いよね。同じ仲間がいて、よかった。私は、十代半ば頃までは夜、裏山を放浪したり、畑に行って来いと言われて怖じ気づいてる兄に付き添ってやったりしてた、怖いもの知らずの〈自然児〉そのものだったの。  自然の懐に抱かれている、という実感を何度も抱いたことのある少女だったのに、都会生活での人生が続くと、かえって夜が怖いと実感しています、

15日に、K編集女史からTELを頂き、3月30日に偶然、あなたの作品のことでの約束があったところへ、あなたからの緊急電話をもらって、急遽あなたのご夫君の通夜にも、葬儀にも出席できたと、話してくれました。       「堀内さんがとても小さく見えて、痛々しくて」との彼女の言葉がずしんと心に残って、心労と疲労でしぼんだあなたが、心に焼き付いてしまいました。煮豆を送ろうかな、おまんじゅうなら食べるかな、なんとか体を膨らましてやりたい、とそればかり考えてた。

私はこのところ、家事などろくにせず、カロリーの消費が少ないのか、ふっくらしてきて、48キロは越えてると思う。あなたと釣り合いが取れないから、あなたはせめて46キロは維持しておいてね。私の母が31キロで、どのくらい生きていられるか心配、と書いたときに、ご夫君は176cmの 32キロで、会社で働いてくれているの、と書いてくれたことがあったね。そんなに痩せておいでだったのだ、と胸が痛んだものでした。

次男を新潟へ送り出して、寂しい思いをしている〈エンちゃん〉のお母さん(私のこと)  を慰めようというのか、あのできない〈エンちゃん〉を大学医学部に現役で入れたのは、お母さんのお蔭じゃないのか、という間違った推測のためなのか、息子の同級生で〈浪人〉してる連中が6人、5月から、英語で私にぶら下がりに来ることになり、K女史には「作品を待ってまーす」と期待をこめて迫られてるのに、それを横目に、ナイスボーイズの魅力に惹かれて、OKしてしまいました。

学校の授業はあるし「玉手箱連載」もあるし、私の人生は、こま切れの寄せ集めだなと、元はと言えば、自分のせいなのに、慨嘆しているところです。  ハルナは全く手をつけなくなり、バオバブの次号の締め切りも迫っている のに・・。 

私は死んだ人を2度しか見たことがないので〈死体・遺体・亡骸〉そのものが、非常に怖いのです。怖いというより、神秘、この世の謎が凝縮されて、突きつけられている感じで、さっきまで生きて動いていた心が、いったい どこへ消えてしまうのか、掴めない事への不安やら、不思議に圧倒されて しまって、手を触れるのがはばかられる、と言ったらいいのかも。

仏教にあるように、すべては〈無〉に帰するのでしょう。執着心を捨てて、あっさり人間になろうと思うのだけど、そうなったら、書くことなんてなくなるだろうと、思うわ。書くことは、ひょっとして〈無〉になるための修行行程みたいなものかも。何かが書き上がっていくたび、心が浄化されていくのかも。

あなたは49日がすむまでは、雑事はごまんとあるはず。ずっといつも、
あなたのことを気にかけてるからね。頼もしい人がついてることを忘れないで。何かあったら、TELしてね。

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