9-(7) ばちは当たった!
こすったふくらはぎの他は、どこも何ともなく、マリ子は立ち上がった。
正太はマリ子の無事を確かめてから、肩を落とした。
「びっくりしたあ。おめえ、もう帰れ。わしにゃ、めんどう見きれん。 しげる、自転車を借りちゃるけん、乗せて送ってけえ」
しげるは押し上げた面の下で、むっとした顔になった。でも、会長の命令だ、しかたないかと面をかぶり直した。
帰れと言われて、マリ子は不満だった。アイスクリームは食べたいし、ヨーヨーつりもしたいのに。帰りたくない!
正太はさっさと他の地区の友だちから、自転車を借りてきた。
「あっ、面に傷がついとるで」
正太が気づいて、鬼面のあごのあたりをなでた。
「ほんまに? どうしよう」
マリ子は面の下でうろたえた。お兄ちゃんに知られたくない。
正太が抑えた低音で命令した。
「声を出すなって。バレたらどうすんなら! 今夜わしが色をぬっちゃる けん、早うけぇれ!」
しかたがない。マリ子は観念して、しげるのうしろの荷台にまたがった。
「ほんまに大ばち当たりじゃ。なんでわしにばちが当たるんじゃ。腹へっとんのに、自転車こがしゃがって・・」
しげるのぶつぶつを聞いていると、マリ子はちょっぴり申し訳なさも感じ ながら、笑わずにはいられなかった。階段を5段落っこちたくらい、何が ばち当たりなもんか。面の傷は治してもらえるし、心配はおしまい!
そうだ!家に帰ったらズボンに着がえて、加奈子をさそいに行こう。加奈子とアイスクリームを食べよう。きっと、おじさんがついてきてくれるわ。
思いついたらワクワクしてきた。マリ子はおふせ袋から、チョコレートや キャラメルを取り出して、自転車を走らせているしげるの前に、つき出してやった。
マリ子にばちは本当に当たらなかったか、って? とんでもない。祭の終った翌日には、子ども会のだれかが、お兄ちゃんをみまいに行って、何もかも知らせてしまったのだ。マリ子が階段から落ちて、面に傷がついたことまで伝わっていた。お兄ちゃんが怒ったのなんのって!
盲腸の手術の後の傷が破裂しそうだと、おかあさんが気をもんだことと いったら!
しかたがないから、これから半年、マリ子の月づきのおこずかいのうち、 50円を毎月お兄ちゃんに弁償することになった。でも、そのことでしょげるマリ子ではなかった。おふせのお金は200円をこえて集まっていたし、それより、やってみたいことをとにかく実現してのけて、大満足だったのだから。
でも、その夜のことだった。病院から帰ってきたおかあさんの、泣くような声が階下から聞こえてきた。何事かと、マリ子は階段をそうっと途中まで 下りて、聞き耳を立てた。
「・・ほんまにあの子というたら、何を考えとるんじゃろ。女の子が鬼面 かぶるやこ、聞いたこともないが。お兄ちゃんのを無断でかぶって、おきて破りして、おまけに壊してしもうて、何が楽しいんかわたしにはわからんわ・・」
言いつのるおかあさんに、マリ子はこっそり肩をすくめた。ごめん、心配 ばっかりかけて・・。
その時、おとうさんの静かな声が聞こえてきた。
「まあ、そう言うなちこ。子どもでいられるのも、あとほんの何年かじゃ。あの子は、やっておきてぇことは、心残りせんように、ぜぇんぶやってみとるんじゃちこ。わしらにはできんかったけど・・。そうじゃろが」
沈黙が続いた。それから、ぽつんとおかあさんの声がした。
「待つのも、しんどいもんじゃなあ・・」
マリ子はそっと、また2階へ戻った。なんだかわけのわからないモヤモヤが、胸にわいていた。ちょっぴり切ないような、それでいてさびしいような・・。自由は保障されたようだけど、時間はくぎられている、と思い知らされたようで・・。