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4章 (5) '87 4月 夫君死去の知らせ

「たくさんの郵便物に混じって、あなたのノートがあって、この数日、私の身の上に起こったことを知らないで書いて下さったこのノートが、もう戻らなくなった昔からのメッセージに思えて、言い様のないほどの慰めを受けました。3月30日の未明に、夫を亡くしました。病名は心不全。同じ部屋に寝ていた私も、何も気づかず、よく眠ってるものと思い・・息子を送り出し、朝食の支度をし、まだ起きないので、呼びに行き、眠ってるとしか思えず・・しまいに顔に触れてみて、初めて異変に気づきました。その時のショックといったら・・」

ああ、こんな文で始まるノートを受け取る日がくるなんて、私は打ちのめされて、ノートを引き出しに封じこめました。電話しなきゃ、直接声をかけたい、と強く思ったのに、それも封じこめました。知らないでノホホンと書いたこのノートが慰めになったのなら〈そっとしている〉方が、むしろ心が安まるかもと思えたの。

その反面、心友なのに、何一つできない、できなかったことを、胸が痛む ほど残念にも無念にも思います。あなたの回りには、駆けつけてくれる人がたくさんいるのだから、と自分を慰め、言い訳して、ただごめんなさい。と首をうなだれるしかありません。

お医者を呼び、息子さんや姉上たちにTELをし、その間に、ご夫君の体を湯で拭いて、新しいパジャマを着せたのね。近所の人に知らせて、それからは騒ぎで、夢を見てるようだったって・・。私には「1対1のノートでだから、知らせない限り伝わらないので、お知らせ遅れて悪く思わないでね」だって? ちっとは恨めしく思ったよ。経験もなくて頼りないけど、心友の つもりだったのになあ、と思ってしまうもの。

「葬儀のお寺に向かう時、30年近く通い慣れた会社の近くで、写真を抱いてその道を運ばれながら、30余年のことが一時に押しよせて、若々しい姿ばかりが浮かんできた。ふしぎと死顔がまたとても若く、平和で少し微笑を浮かべてさえいたのです。その顔がどんなに慰めになったことか」

私も思い出しました。夫君にお目にかかったのは1度きりだけど、面食いの私がはっとしたほど、昔の美青年ぶりが偲ばれる方でした。ご自分の顔に責任を持った、生き方や考え方が、そのままお顔に滲み出た、心持ちの美しさがそのまま表れてる表情だった。あなたも同じようで、夫君をあるがままに受け入れて、一緒に笑ったり乾杯したり、互いを尊重し合って暮してこられたと思う。あなたは一緒に暮したら、さぞ楽しい人だろうなと思える。ときどきバタンキュウとなって、散らかし放題や、書き物にねじりはちまきになるかも知れないけど、それを帳消しにできるほどの面白さが、あなたにはあるのよ。

「彼に選んでもらって、伴侶として一生を通して、過ごしてきたことを誇りに思っています」という一節に胸を打たれ、厳粛な思いでしんとしました。そう言い切れるあなたの一生は、曲折があったにせよ、幸せなものだったから、きっと今の痛みを乗り越えるバネになりうると、ほっとさせる言葉ではありました。

あなたが夫君の死を気づかずにいたことで、自分を責めておいでかと思ってたの。ひと言何か言葉をかけたかったとか、ね。だから、1週間ほど後にお参りに来てくれた、夫君の恩師の言葉を書いてくれて、それを読んだ時、
私はほっとしたあまり、声を上げて泣いてしまいました。

恩師は、彼がいかに悪ガキだったかを話してくれて、笑わせてくれた後、「彼は言ってましたよ、純子といっしょになったから、こうしてやってこれた。純子といっしょになれてよかった、と。長い間、面倒を見てやってくれてありがとう」と恩師があなたに、頭を下げて下さったのだって。「その時、やっと、辛さが悲しみに変わり、人間の心が戻ってきた気がしました。彼が別れの言葉を言って行けなかったので、敬愛する先生の口から言って もらってくれたのだと感じました」

何度読んでも涙がこみあげてくるのです。よかったね、ほらごらん。私が予言していたとおり、夫君は「純子といっしょになれてよかった」と、はっきり言葉にして言ってらしたのよ。

私はかなりの悪妻なんだけど「みえ子といっしょでよかった」と言ってもらえるように、少し神妙にせねばなァと、涙をぬぐった後、ちらっと思ったんだけど、どのくらい続くかなァ、この決心。

あなたの彼の祭壇が、いつも花で溢れていますように、〈お花代〉を送ります。決してお返しなどなさいませんように。心からご冥福をいのります。

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