![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94521945/rectangle_large_type_2_c7d9b440bd27b168fe2b47aef5366132.png?width=1200)
1章-(5) 3/10日父の宣告
それからの1週間は、家でも学校でも悪夢のようだった。
みゆきのへやは、ママたちの寝室の隣なので、毎夜遅くまで父と母との話し声が聞こえた。中身が聞き取れないだけに、高く低くこもる声に、よくない想像がふくらんでしまう。
遅くまでガタガタと何かを動かす音がするのは、早くも荷物の整理選択を 始めているのだろう。
廊下をへだてて向かい側のへやで眠っている姉のちはるは、毎日ぐったり した顔で帰ると、食事、入浴、翌日の準備、あとはバタン・キュウで、何も気づかないままだ。みゆきは姉に話するひまもなかった。
姉はますます忙しさが増していて、家のことに気をまわすゆとりはゼロだったのだ。
父がみゆきとちはるを呼んで、事態を宣告したのは、あの日から1週間後のことだった。
階下のリビングに2人で下りて行くと、固く口をつぐんだ母と、背筋を伸ばした父が、テーブルに向かい合い、座って待っていた。
みゆきは父の側に、ちはるは母の隣にすわった。
「おまえたちには、すまないことになった」
父はまず2人に頭をさげた。そのことから始めなくては、と思い決めた苦汁と潔さが、みゆきには感じとれた。その父の横顔は疲れと心労とで、青黒く沈んでいた。
「なによ、なに?」
それまで家での騒ぎに気づかないままの姉は、目を丸くして父を見上げた。
「結論から言おう。・・私たちは、この家を出なくてはならなくなった。 土屋君の借金の返済の一部を、パパが背負うことになったからだ。すまん」
みゆきはまた、胸がうねり、ねじくれるような痛みを感じた。明美たちは、自分たちが逃げ出したあとに、こんなことになると知っていただろうか。
姉はびっくりして、口を開けたまま、声も出せないでいる。
「私たちは教員住宅へ移れるように、申しこんでおいた。3月だから、移動があるだろう。なければ、仕方がない、どこかのアパートになる。場所は どこになるか、まだわからないが・・」
父はそれから、ちょっと口ごもった。もっと言いにくいことなのだ。
「この家はローンが終わっていないし、家を手放しただけでは、お金が足りない。これからも当分払っていくことになる。2人には悪いが、私立に行かせる余裕はないんだ・・」
「学校を変わるの? 清美には行けなくなるの?」
姉の声は悲鳴のようにかん高くなった。
父はうなずいた。
「そんなことムリ。ひどすぎる。5月の終わりまで、私は生徒会長なのよ!」
姉は母の胸に飛びこむと、わっと泣きだした。母はその背中をなでながら、口をゆがめ震え声で言った。
「恨むわ、あの人たち。こんな裏切りってある?人の好意を踏みにじって、ひと言の詫びもないなんて!」
それから、母は決然としたかすれ声で、こう言ったのだ。
「夕べよくよく考えて、私は決めました。あなたには悪いけど、やっぱり 教員住宅へは、わたしは行けません。大事な商売道具のピアノを、2台運
べるほど広くはないでしょ? 4月末の発表会の練習を続けてるピアノの生徒さんを、途中で打ち切るわけにはいかないし、このまま続ける方が経済的にも助かります。それに、ちはるを転校させるのは、反対です。かわいそう ですよ、ちはるにだって、生徒会長としての面子も誇りもありますもの」
ぐっと言葉に詰まった父を、みゆきは見ていられなかった。よそいき言葉で宣言する母を説得するのは、父にはムリなのだ。
「私が責任をもって、ちはるの授業料を受け持ちます。返済金の方も私も 手伝います。あなたはみゆきを見てやってください」
(えっ! みゆきはお姉ちゃんと別べつに? ママとも暮らせないの?)
叫びたいのに、舌が上あごにくっついたようになって、声が出せない。
結局、母に押し切られた形で、いつのまにか別べつのアパートで暮らすことが、決まってしまっていた。
ママはこんなことまで言ったのだ。
「みゆきはパパ似のパパっ子だもの。パパと行く方がいいよね。食事なんか大変になるけど、わからない時は、いつでもメールか電話してね。なんとかして、月に一度は4人で食事しましょ」
(勝手に決めないでよ!)
みゆきの胸にたまっていく怒りの一部は、母への思いもあった。高校の数学教師の父を尊敬していたはずなのに、あれほど仲良さそうに見えたのに、 どうしてこんなたいへんな時に、いっしょに住んで、助けてあげないの? 家族じゃないの!
それに、みゆき自身も、なんだか母に見放され、見捨てられた気がしてならなかった。もともと母と姉はどちらかが歌い出すと、すぐに2部合唱に合流していくほど、気が合っていた。みゆきは感心して聞いているだけで、音痴の父と同様、ついていけない。
積極的で社交的で陽気で活発な姉は、母にそっくりなのだ。正反対のみゆきが、こんな時選ばれないのは、当然のなりゆきなのかもしれないのだが。