
1章-(6) とうちゃんの思い
すえととめ吉は、夕めしをすませ、ランプに火を灯す頃には、もう床に 入る。風呂は週に一度か,10日に一度だ。
夕方、シカ婆がつるを行水させてくれた。
「かよちゃんにゃ、行水はまだむげぇなあ。わしもなかなか来れんけぇど、ひとりでむりして行水させるこたぁねぇど。垢で人間、死にゃあせんけん」
シカ婆の慣れた手つきに、つるはたらいの中で、気持ちよさそうに、目を 閉じて浮いていた。
とうちゃんが中島から戻った時は、もう夜だった。かよはとうちゃんの疲れた顔を見て、はっとした。うまくいかなかったのか? 足を洗い、わらじをぬぐ間もだまりこんで、その上、何を考えこんでいるのか、ときどきため息をもらしている。
あんちゃんが、あがりがまちで、ランプの灯を寄せて、かまを研ぎながら 言った。
「とうちゃん。中島はどげんじゃった?」
「ああ・・かよ、わしに熱い湯をくれ」
は、はい。
とうちゃんは熱い湯をゆっくりとすすり終えると、あんちゃんとかよに話し始めた。
中島の大旦那には、長女の糸さまが嫁入った後に、今27歳を頭に3人の 息子がある。その糸さまは、最初のお産が難産で、かよの母のちよよりも 先に、母娘共に亡くなられていた。フミおくさまは気落ちされながらも、 残った息子や娘たち5人の世話でなんとか気を張っておられた。
ところが、今から6年前、大津波が中島を襲った時、その日親戚に遊びに 行っていた、かわいいい娘たち、7つと5つの2人の娘を、一度に亡くしてしまわれた。とうちゃんはそれを知っていたので、娘をもらってくれるかも知れないと考えたのだ。
それに帯江の須山さまと言えば、近在の村々にも名の知れた旧家だ。つるがその縁筋に当たることを知れば、たとえ小作人の孫娘でも、もらってくれはしまいかと、望みを託したのだ。
「もろうてくれんの?」
かよは待ちきれず、とうちゃんの顔をのぞき込んだ。
「いや、ほしいと言うてくれた。あそこの下女で、赤ん坊を産んだばかりの女がいて、乳ももらえるそうな。願うてもない話なんじゃが、ただな・・。おくさまが、かよを子守として、つけてくれるなら・・て言われた・・」
かよは、わっと叫びだしそうになった。うちが、つるの子守になるん。 夢みてぇじゃ。かあちゃんよかったな。うち、ほんまにいっしょうけんめい育てるで!
「うち、行くわ。あした、行くん? 用意せんと・・」
「待て、かよ。うちがどうなるか、考えたんか」
あんちゃんが声変わりした太い声で言った。かまを持つ手も肩もとうちゃんよりずっとがっちりしている。
かよの頭に、やっととうちゃんの心配が、映ってきた。今、この家をかよが抜けたら、どうなるか。すえは前にもまして、かよをかあちゃん代わりに、頼りにしている。めしたきに洗濯につくろい物も、かよならなんとかやっていける。
その細い肩に背負ってきたものが、どれほど大きなものだったかとうちゃんもあんちゃんも、あらためて気づいたのだ。
3人とも黙りこんだ。ランプの油の燃える、ジジジという音だけがひびく。
「ほかにやれるとこは、ねえんか、とうちゃん」
あんちゃんの問いに、とうちゃんは首をふった。
「そうじゃろな、川に流す話やこ出るくれぇじゃけん。けど、とうちゃん、流すなよ。つるは、かあちゃんの寿命をそっくり、もろうとるはずじゃ。 神さんがおられるなら、つるを守ってくれるに決まっとるわ!」
あんちゃんの声は熱く切ない。かよは同じことを、あんちゃんが考えていたことを知って、胸を熱くしていた。
「とうちゃん。このまんまじゃおえんのん。うちが家におって、つるを育てて・・」
かよは必死の思いで、言ってみた。
とうちゃんはまた、力なく首をふった。2反で食べていけるくらいなら、 とうちゃんの年に何度もの出稼ぎ仕事はいらないはずだ。そのことはかよ にも、察しはついた。