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(185) 生涯の友
難病で入院が長引きそうだとわかったころ、母の口数は極端に少なくなった。東京からたった数日しか看病に戻れない娘の私を、黙って見つめるばかりだった。
「だれか会いたい人いない?」と、思いあぐねて問うと、
「林さん」と、即座のひとこと。それから、電話番号を母はつぶやいた。
とびたつ思いで、私はダイヤルを回した。その人はすでに、その番号の弟宅から、老人ホームに移されていた。ホームに連絡すると、林さんが涙声で 明日すぐにと、約束してくださった。
翌朝、7時に病室に現れた林さんに、私は胸を突かれた。激しい手の震えは、母と同病で、母より重そうに見えたのだ。身なりは質素だった。
久しぶりの再会に、二人はしばらく手を取り合って涙ぐみ合い、やがて昔話を交わし始めた。
![IMG_20220123_0006生涯の友](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/73080694/picture_pc_29b9820abe976b9b9bbc0a21ca21f90c.jpg)
村でただ二人だけの女子師範学校生だった頃、朝5時の暗い中を、茶屋町駅まで歩いて電車通学したこと。同じ頃、同じ道を岡山の男子校に通っていた、岡部さんという上級生に、二人で憧れていたこと。
「私ね、ホームに入る前に、岡部さんのお宅はお近くだから、看病を手伝わせて頂いたの。ガンでお亡くなるまでの2ヶ月だけでしたけど・・」と言った林さんの静かな声に、
「私も手伝いたかった・・」と、少しはにかんでつぶやいた母は、女学生のようだった。
「またいらして下さいね」
病院の玄関でタクシーに乗る林さんを、母に代って見送った。6人の子育てと家業に追われていた母にも、生涯の友がいたのだ。
母はその日、珍しく長々と、林さんの思い出話をしてくれた。二人は会えなくとも、文通だけは続けていたのだった。 彼女の幸せな結婚生活は、夫君の事業の失敗や、病死であっけなく独り身となってしまったこと。弟宅の物置部屋になんとか住まわせてもらったが、その子どもたちにいじめ抜かれたこと。クリスチャンであったことも、いじめの一因だったが、そのおかげで、クリスチャン・ホームに入れたことなど。
帰京後、林さんへの礼状に、タクシー代とお見舞い金をしのばせた。彼女は病院からは遙かに遠いホームから、駆けつけて下さっていて、どんなにつましいホーム暮らしをしているか、ひとめで察せられて・・。