(192) サクラ模様のたんす
湿気の少ない真冬になると、早苗の母は、サクラ模様の家具の手入れを始めます。
小さな本箱と、高さ66cmの小だんすと、2枚の大きなお盆を台にした小テーブルには、それぞれサクラの枝や花が、みごとに彫り込まれています。
母はぬれ雑巾でほこりを拭き取り、よく湿らせます。その後、表面が乾いたところで、今度は木工用のワックスを吹きつけて、何度も拭き上げるの です。
早苗も手伝ってていねいに磨いていると、母が苦笑いして言いました。
「これ、間違ったやり方かもしれないの。でも、アリスさんが話してくれたことを思うと、これでいいような気がしてね」
アリスさんは5年ほど前に、母の友人として毎週わが家を訪ねてくれていた、キリスト教のアメリカ人伝道師(ミッショナリー)でした。70歳の 定年で帰国するとき、彼女が大好きだった家具の一部を、母にゆずってくれました。
「食卓も椅子も鏡も、サクラ模様でそろえたのに、とてもとても残念です」
アリスさんは45年間、日本に滞在していましたから、流暢な日本語でそう 言いました。軽井沢の家具屋からひと揃いのテーブルと椅子を、カリフォルニアの兄に送ったことがあったが、あちらの乾いた気候のために、木材が縮んでしまって、何もかもバラバラになって、使えなくなったのだとか・・。
この家具は湿気の多い、日本にあってこそ生きるのです、とそう言い残して、揃えた家具すべてを、母やその他の知人にゆずって行かれたのでした。
今は故国の老人ホームで暮らすアリスさんに代って、母は家具の手入れを続けているのです。