3章-(7) 巡り巡って
翌朝、おトラさんがつるに乳を飲ませていて、おシズさんが掃除を始めかけた時、かよはおキヌさんが朝食作りにかかっている側へ寄っていき、そっと声をかけた。
「きのうの話じゃけど、じいちゃんや喜平おじさんが、保ちゃんをござまで運べるて。啓一がときどき、日に当たりすぎんよう、見てくれるて」
かよの話をきくと、おキヌさんは珍しくほおを赤くして喜んだ。早くも涙 ぐんでもいる。その間も、手元では香の物を刻んで、鉢に盛っている。
「なんもお返しできんのに、ほんまにお世話になるばぁでなぁ」
「じいちゃんが、わしらにできることはやれるけど、あとは頼む、て言う とった・・。初めはござで、お日さまにちいとずつ当てて、うんとなれてきたら、滑車をつけた板に乗せて、動けるようになれるんじゃて」
「まあ、そげんこともできるん?」 「じいちゃんの知っとる人は、そうやってどこでも出かけとったって。 じいちゃんはいっしょに遊んだって」 「そげんになれたら、あの子も喜ぶわなぁ、うちもそれが見たいわ、待ち 遠しいな」
おキヌさんは、夢見るように言いながら、鍋に味噌汁の実の刻んだダイコンとニンジンを入れた。
「じゃけど、滑車や板を買うのに、ゼニがいる、いうて、じいちゃんが心配しとった」
かよが言いにくいことを、口にしてみると、おキヌさんはきりっとした目になって、こう言った。 「せぇは、うちが何とでもするわ。お給金を少しはためとるし、けぇからは、しっかり貯めるわ・・。せぇくれぇは、あの子にしてやらんと、母親 らしいこと、でけんままにしてしもうて、かえぇそうなことしてしもうた」
よかった、そのことをおキヌさんが自分から言い出してくれて、とかよは ほっとした。
かよは大急ぎで、おシズさんの掃除の手伝いに向かった。
その日の午後には、門の近くの日陰のすぐそばにござが敷かれ、保が重ねたざぶとんにもたれて、座っていた。お日さまが、保の白い顔や手足に当たっていた。保はまぶしそうに手で顔をかくしたり、目をつぶったりしている。
啓一は竹かごに刈ってきた草を山盛りにして、門を入ってくると、保に近づいた。 「保ちゃん、わし、啓一、けいちゃんじゃ。仲ようしような」 と、笑顔で言って、保の手を軽くにぎった。保はぽーとほおを染めて、啓一を見た。誰とも話したこともないのだ。
「もちっとしたら、わしがござを引っ張って、ひさしの影に入れてやらぁ。日が暑かろうが」 啓一がそう言うと、保が小さくうなずいている。
かよがちょうどつるを背負うて、門へ向かっている時に、この2人のようすを見かけた。顔を見あっている2人に、かよは嬉しくなって、散歩に出た。
啓一は保を〈気色の悪い子〉と言ったことがあったが、じいちゃんに「ええことをすりゃ、自分にええことは返ってくる」と言われたのを忘れず、保に近づくことにしたのらしい。
その日の夕方、おキヌさんがかよに言った。 「帯江にこんど里帰りして、戻ってこられたら、学校が始まるじゃろ。着物やかばんは用意できとるん?」 「着物はかあちゃんのを、おはしょりして着ればええて、とうちゃんが言うとった。かばんは風呂敷でええかと思うとる」
かよがそう答えると、おキヌさんはうなずいてからこう言った。 「おかあさんの着物じゃ、丈はおはしょりですむけぇど、かよちゃんにゃ、袖が長すぎるわな。うちが今のうちに、夜なべで直しといてあげるわ」 「わ、ありがとうございます! そげんこと思いつかんかった」 「うちにゃ何もお礼ができんけん、これくれぇはさせてぇな。うちにできること あってうれしいわ」
かよは、じいちゃんの言った言葉はほんとうだと、ひそかにうなずいて いた。「いいことをすれば、自分の身にいいことが返ってくる」と。 おキヌさんの申し出はほんとに有り難いことだった。
着物の手直しは、喜平おじさんの妻のヨシに頼めばいいのだが、とても言い出せそうもない人だった。かよが朝夕の食事のお代わりするのも、遠慮したくなる視線を向ける人だ。啓一が卵ひとつをかよと分け合うのも、目を光らせていた。それで、かよは昼飯の時に、お屋敷の台所で、遠慮なくお代わりすることにしていた。