1章-(5) ホテルにやっと!
手に持っている切符で、トラム(市電)に乗れるとわかって、地下街から 急いで地上に出たのに、夫が見えない。私はあわてた。別の場所に出て来てしまったの?それで気づいた。
私、迷子だ!迷子になっちゃったよ。堀内純子さんが言ってくれたように、「迷子にならなきゃ、旅じゃない」って、もうやってるじゃない。目的駅に着いたとたんにもう迷子だ、と笑いたくなった。
でも、行き先のホテルの名前を知らないままの、絶望的状態だった。いつもは、方向がわからなくなると、ひらめいた方角の反対方向へ行くことにしていて、それで無事うまくいくことが多いのだけど、この時ばかりはそうは いかない。外国だもの。まして、悪名高きアムスだもの。へたに動かず、 思い出せ、と立ち止まった。
そうだ、そうそう。さっき夫と見た電車の屋根の上に、Dの文字が大きく 見えた。さいわい、Dをつけた電車が少し先にまだ止まっていた。あそこ かも。そのまん前まで行ってみると、なんと中央駅の一番右端の所に、夫が立っているではないか。私は右端の階段から地下へ下りて、中央のエスカレーターに乗って、地上に戻ったため、位置がずれたのだ。これで、D電車が出発していたら、どうなっていただろう!
結局、夫の希望に従って、トラムには乗らず、歩いてホテルへ向かうことになった。黒い布製のボストンバッグのカートを引っ張って、ホテルを探しながら、町を歩き出した。足元はレンガを敷き詰めた石畳のデコボコ道なので、カートはガラガラキイキイ賑やかな音を立てる。そうでなくても、揃ってリュックを背負った、背の低い東洋人は目立つのに、いっそう人々の注目を集めてしまった。
町並はレンガ造りの豪華な建物が続き、目を見張るほど美しい。西日がゆっくりと建物の壁や屋根を照らしながら傾いていて、町はどこまでも明るく、これぞオランダ!と、時差呆けなど吹っ飛ぶほど、心がはずんだ。
夫がオランダ語で、何度も道を尋ね、地図を示して、ようやく「カランサ・カレーナ・ホテル」へたどり着いた。これは自費で、大学生協に予約してもらったホテルだ。夫は当時、大学生協の理事長をしていた。
夫の時計で、現地時間8時10分。私の時計で東京時間夜中の3時過ぎだった。少々目が回るほど疲れていたので、たっぷりの湯の浴槽に沈み、とにかく汗を流して、バタンキュー。睡眠薬を1/4のんで、私の方が先に床にもぐりこんだ。
部屋は西日の当たる409号室。体ごとゆだりそうなほどに暑かった。
「日本なら、4とか9とか存在しないようなへや番号ね」と私。
「〈よく〉なる、って番号だよ」と夫は笑う。
「今日は楽しかったね」
「これぞ、旅だったね」
と2人で言い合った。
というのは、ホテルまで来る間の道筋で、思いがけなく西日に金色に輝くロイヤル・パレス(王宮)や、マダム・タッソー館を見つけたりしたからだ。明日が楽しみだった。
長いながーい1日だった。東京で朝4時過ぎに起きてから、真夜中3時過ぎ まで、ほとんど明るさの中で、興奮していたのだから。実際、1日が31時間あった日なのだ。