8章-(9) 高尾山での再会
毎朝の散歩を、香織は雨の日も傘をさして続けていた。習慣にすると、 しないではいられなくなるものらしい。ワンゲル登山の予定日は、8月 第3週土曜日なのだ。その日までに、体力をつけるつもりだ。
野田圭子とは、何度かTELを交わしていた。圭子の話では、香織のママから届いた封書をママに見せる前に、香織の初デートのために、圭子がうちへ泊まると嘘ついたのだと、打ち明けたのだって。圭子のママはわかってくれて、香織のママにハガキで、香織が泊らなかったとバレないような礼状を書いてくれて、あの一件は終ったそうだ。
「オリ、登山の時、今度こそ、うちへ泊れるね。あたしのママもオリに会いたがってるんだからね」
「それじゃ、ほんとにお願いね。実はね、ユウキ君がうちに泊まれよ、と 言ってくれてるけど、うちのママにそう言えば、そんな仲なの、って咎められそうだし・・」
「そうよ。そりゃ、そう言われるよね。じゃあ、決まりだ。楽しみ!」
というわけで、香織は前日に圭子の家に泊めてもらい、翌朝は山行きのお弁当を作ってもらった。
その日、京王線高尾の駅に、前回と同じメンバーが両校15名ずつ集まった。先生たちも同じだった。日野詠子先生は苗字が〈若杉〉と変わって、 紹介され、皆の拍手を受けた。
生徒たちは自然に、前回と同じペアで並んでいた。星城高の須山先生はそれを眺めてにやっとしたが、何も言わなかった。が全体の責任者として、説明を始めた。
「高尾山は599mの小さい山だが、上り方は幾つもある、ハイキングコースとして6方法と稲荷山コースがある。ケーブルカーもリフトもあるが、ワンゲル部だから、最も山登りらしいコースを選ぶことにした。前回、1542mの御前山を無事登れた諸君だから大丈夫だが、ここは登山者が多いのですれ違うときの挨拶など、エチケットは守ってくれ。
行きは稲荷山コースを登る。これは2時間登り続ければ、頂上に着く。帰りは6号路の〈琵琶滝コース〉だ。頂上から下って、沢まで下りて、沢伝いに進むと、琵琶滝がある。君らはスニーカーか登山靴のようだから大丈夫だ。華奢な靴では、岩道なので歩きにくい。
他にも〈さる園〉のあるコースや、〈つり橋〉のあるコースなどあるが、 そういうのは、デートの時にでも、楽しみに行ってくれ」
生徒たちはどっと笑った。結城君も笑いながら、香織の手をぎゅっとにぎった。いつか行こうなという、無言の合図だ。私も、行きたいと、香織も握り返した。
「今日はきっと頂上で富士山が見えるだろう。それを楽しみにして、まずはケーブルカーの清滝駅を目指して出発だが、何か質問のある者は?」
「先生、途中でトイレはありますか?」
質問したのは、内山直子だった。直子は夕べはどこにも泊らず、今朝早く 宇都宮から駆けつけたのだ。
「この駅と、清滝駅にはあるし、他のコースなら、あちこちの店にトイレもあるが、稲荷山コースを登り始めると頂上までないね。今のうちにすませておくといい」と須山先生。
直子を含めて女子の何人かが、近くのトイレに走った。男子も少数いた。
皆がそろうと、山崎先生を先頭に一行は歩き始めた。ペア同士は前と同じだが登る順番は入り乱れていた。直子は香織と結城君のすぐ前に来た。ポールも結城君に近づくように、宮城千奈といっしょにすぐ後ろに回った。
暑い日なのに、登山に来ている人は多かった。大体が表参道コースを行く人が多い。家族連れなどは、サル園のある2号路を行き、カップルは4号路の〈つり橋コース〉を選ぶ人が多いそうだ。
「着がえを持ってきた? 今日は汗をかくぞ」と結城君が香織をのぞきこんで言った。 「持ってる。汗をかいたら、背中から、引っこ抜くシャツを着てきたの」「へえ、そんなのあるんだ」
「他にもTシャツ2枚持ってる。水は500ミリリットルを2本持ってる」 「重いだろ。持ってやろう」 「いいの、いいの。だいじょうぶよ。でも、ありがとう」 「ムリしないで、疲れたら言いな。いつでもOKだからね」
香織はうなずいて、笑顔を見せた。
香織のうしろで、ポールが千奈に英語で願い事をしている。どうやら、直子と並びたいらしく、島祐一君とペアになってくれないか、と言っているのだ。千奈が「いいわ、島君がOKしてくれたらね」と言って、カメラを首に かけた姿で、香織の側を前へ進んだ。島君は真面目な顔で千奈の話を聞くと、笑顔になってうなずいた。千奈の方が目立つほどの美人なのだ。直子は嬉しそうに、ポールの隣に並んで、肩をぶつけ合って喜んでいる。
「あの英語の本を読んだよ。君の姉さんが泣いたわけが、わかる気がした。Tom も Mark も Tena も素晴らしい人たちだね。誠実で真っ直ぐで・・」
結城君がそう言ってくれて、香織はじんわりと胸が熱くなった。わかってもらえた気がして・・。
清滝駅ではケーブルカーが出た後だった。2人がけのリフトに乗って、上に向かっているカップルも見えた。
「いつか、あれにも乗ろうな」と、結城君がささやいた。
「あれ、ちょっとこわいな」
「しっかり掴んでてやるよ」
「クフフ、お願いね」
一行は清滝駅の左手から、本格的に登り始めた。高尾山は森だらけだ。高い杉もあれば、カシやナラ、ホオノキなども、濃い緑の森をなしている。
登りに登って、途中のあずまやから、都心まで遠く見た後、さらに登って 2時間後一行は頂上に着いた。大汗をぬぐいながら、目を上げると、なんと富士山がくっきりと見えていた。登った甲斐のある風景だった。
結城君は今回もたっぷりの弁当を、香織にわけてくれた。
「もっと背が高くなりたいな。もうムリかな」
「15だろ。まだ伸びるよ。でも、そのままでも、ちっともかまわないよ」だって。
ただ香織としては、有り難うの代わりに、香織からキスしてあげたくても,届かないんだもの。そんなこと今は言えないけど、いつかもっと先になって、そうできたらな、と胸の中でつぶやいているのだった。