6章-(7) その後 (最終回)
かよはおかよ様となって、まだとまどいながらも、おトラさんが笑顔で、 こう言ってくれたのが嬉しかった。
「三の割にお帰りなさるときゃ、いつも揚げせんべをお持たせしちゃる けん。ありゃ、だれが食ってもうめぇですけん」
言葉遣いは、他の人たちと同じく、お仕えする身としての言葉に、変わってきていた。
かよはお琴、習字、お花、お茶の師が来宅して学ぶことになり、学校は翌年の四月から、岡山の女子高等師範学校へ進むことになった。試験を受けて受かったのだ。糸さまや、おくさまの通われた学校であり、母のちよの母校でもあった。
毎日は忙しいが、新しい事を学ぶ喜びは大きかった。
朝の食事は、父母となった旦那様とおくさまとつるの4人で、食卓を囲むのも次第に慣れ、おキヌさんとおトラさんが運んでくるおいしい食事に、かよは身体がしっかりしてくるのを感じた。おくさまたちも、学校の話や、つるの友だちの話を聞きながら、食事するのが楽しみで、笑顔になるのだった。
日曜などは、旦那様の毎朝の散歩に、かよもいっしょに歩くこともあった。早くから田で働く農夫たちが、2人に挨拶をし、かよに笑顔を向けた。旦那様が質問したり、注意したり、忠告したりするのをかよは聞いて、こんな風にして広大な田の持ち主は、管理しているのだと知った。
女学校へ通い出せば、忙しくなるからと、12月半ばの土曜日に、三の割に里帰りすることになった。つるはもちろん行きたがり、日帰りでということになって、おくさまとおキヌさんとおトラさんが、土産を幾つも用意して くれた。啓一も卵を忘れず、10個もよこした。
その日、人力車に2人で乗って、座席の下の荷物置きに、土産物を詰めこんで、三の割に向かった。いつかのみさと同じように、つるも道々の周囲の 風景に目を奪われ、珍しがって、あれは何?と聞いてばかりだった。かよには、汐入り川は高梁川よりもはるかに、細く浅い川に思えた。
人力車は小瀬戸を通る時も、田で働いている人たちや、庭先にいた人たちの目を引き、どなたのお通りなんじゃ、と話題を呼び、近くまで寄ってくる人たちもあった。
三の割にたどりつくと、ますます驚きの声が広がっていた。
とめ吉とすえ、みさが飛び出してきた。
「お帰り!早く入って!」
隣のツネさんや、留吉さんもかけつける。近所の人たちだけでなく、そのあたりに見える田のほとんどが、本家のばあちゃんとしげ伯母が管理し、伯母のムコさんと、小作人たちが田の仕事をしているのだが、人力車が、余平宅に着いた話はあっという間に伝わっていた。いつもは寝ていることの多い本家のばあちゃんが、しげ伯母にしっかり支えられて、ぼちぼちとやって来た。
きれいな花模様の絹の着物姿のかよとつるが、家に入っていく。土産物をとめ吉たちが、それぞれに抱えて、2人について行くのを見ると、しげ伯母は足を急がせ、ばあちゃんを抱えるようにして、家へ入ってきた。
「あんれまぁ、かよちゃんじゃが、大きうなってからに。なんときれぇな。ちよによう似とるが。ちよはやせっぽちやったけんど。よう育って・・。 ええっ? この子があの時の?」
ちよの側にいる5歳のつるを見て、しげ伯母は目を見張った。
ばあちゃんも腰を伸ばして、しげの視線の先を追って、その子を見つめた。
「・・こん子がのう・・あんときの・・ほんまに、ちよのこんめぇときに、そっくりじゃ。ええ顔色して、ふっくらして・・」
しげ伯母が、低いふるえ声で、ばあちゃんにこう言った。涙ぐんでるみたいだった。
「なあ、ばあちゃん、やっぱ、流さんでえかったのう。ほんまに流すもん じゃねぇわ。こげんに育って、こげんして美しう生きとるのを見る方が、 どげん幸せなこっちゃか・・」
「ほんまよのう。どげな運が、そん子にそなわっちょるか、わしらにゃ、 わからんもんじゃのう。流さんで、ほんま、えかったのう」
と、ばあちゃんもしみじみとした声で言った。
かよはおトラさんがくれた揚げせんべを、紙にくるんでしげ伯母に渡した。
「うちは、白神かよという名前になりました。妹は白神つるです。お披露目をしてもろうて、4月から岡山の高女に通うことになっとります」
「まあまあ、ちよとおんなじ学校へ行けるんじゃなぁ。中島の白神さまに 親戚がでけるとは、うちらも晴れがましいわ。かよはええ運を持っとるん じゃなぁ」
と、しげ伯母はまぶしそうに、かよを見たのだった。
かよはちよの仏壇に手を合わせる時、つるも誘って、並んでつぶやいた。
「かあちゃん、ただいま、2人は元気でおりますけん、安心してくだせぇ」
その夕方、みさの精一杯のもてなしで、余平とうちゃんもあんちゃんの カズオも、少し酒を飲んだ。早めの夕食を済ませると、かよたち姉妹は、 また人力車に乗って、中島に戻ったのだった。
それから5年が経ち、かよは20歳となって、女学校を終えていた。
3男の宗俊が、父の後を継いで田畑を守り、事業家としても学ぶために、 大学を卒業と同時に帰郷していて、今は27歳となっていた。旦那様の勧めと、宗俊本人の強い希望もあって、かよと結ばれることになった。2人で田畑を見回りながら、思い出話をし合ったり、宗俊の東京での楽しかった話を聞かせてもらったりした。気さくな人で、かよが語る何でも受け止めてくれ、何でも話し合える気持ちのいい人だ。
2人の散歩に時々加わるおつる様は。10歳のまだ小学生だが成績抜群で、いずれ姉の後を追って、岡山の女学校へ行くつもりだ。
東京の2人の兄たちはすでに結婚していて、白神の両親には孫が4人ある。
三の割ではみさ夫婦に長男が生まれ、ひと部屋建て増しをした。この時、17歳のとめ吉が、村役場勤めで貯めていた給料を差し出して、建て増しの援助をした。すえは8歳から小学校に通うようになり、友だちと楽しそうに勉強している。
かよは自分の身の上の変化を思い返すとき、その根っこに、かあちゃんが お水神さまを大事にしていたこと、それを守って受け継いだことが、自分によい運命をもたらしてくれた気がした。つるもまた、その恵みを受けているのだと思えた。 [完]
〔明治期の田舎の地味な話に、お付き合い頂いてありがとうございました!
このあと、少し『合閒のはなし』を載せますが、『香織の試練 2』が、もう少しかかりそうで、しばらくお休みするかもしれません。連日掲載記録が途切れることになり残念ですが、やっぱりお終いまで書き上げてから、載せたいのです。待って頂けると有り難いです]
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