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6章-(2) 志織姉の帰宅

「パパはどうだった?」

玄関に走り出た香織に、成田から帰り着いた志織の第一声はそれだった。

「眠ったままだった。まだ話はできないし、してはいけないの。先生にそう言われた」

香織は姉のバッグを1つ抱えて、居間に向かいながら、答えた。

「そうなんだ。あたし、電話で聞かされたあの時から、医学書を読んだり、時々かかってるお医者様に伺ったりしたのよ。ほんとに危険の多い、危ない病気ですって。パパも血圧は高めのことが多かったし、お酒も好きで、たまには飲んでたし、パパのお父さんが42歳で亡くなったのも、同じ病気だったと話したら、それも影響するかもしれない、と言われた」

「出血は少しだったそうよ。それで、開頭手術して、クリッピングというのをしたって、先生が説明して下さったの」
「脳梗塞の予防をして下さったのかしら。それも大事なことなんだって」  と、志織は言った。
「そのための薬をもらってるみたい。脳の血管が縮まないようにする薬だ そうよ」
「よかった。ちゃんとした先生に見て頂いているのね」

志織はやっと安心した様子になって、居間で待っているおじいちゃんに帰宅の挨拶をした。

ママも台所から声をかけた。
「志織、心配かけたわね。カナダにいる貴史にも連絡した方がいいかしら」
「そりゃそうよ。大学の博士論文で忙しいって、言ってたけど、パパが危ないことは知らせるべきだわ。手遅れになったら、後でぜったい恨まれるわ。お兄ちゃんは、めったに帰らないけど、パパとメールをしょっちゅうやり取りしてるし、電話をよくかけてる、って言ってたから。小学生の時だって、あたしたちより、よっぽどパパっ子だったじゃない。キャッチボールとか、サイクリングや山登りもいっしょにやってたでしょ・・」

ママは深く頷いて言った。
「そうだったわね、わかりました。今7時だから、バンクーバーは昼間  だわ。今すぐに電話で知らせておくわ。夕食はちょっと待っててね」

ママはさっそくカナダの貴史に電話をかけ、パパの現状を伝えた。志織も 帰っている、と知ると、貴史も大急ぎで教授に伝え、すぐに切符を手配して帰ると言ったそうだ。

香織は何年ぶりに兄に会えるのだろう、と数えてみたが、はっきりとは計算できなかった。大体、家の中にいるのが多かった香織と、ほとんど家に居着かず、野球部に水泳に空手にと、スポーツの守備範囲が多かった兄とは、 あまり話した覚えもなかった。12歳違いではあったし・・。

「これで貴史は帰ってくれるわ。さあ、夕食にしましょう。今夜はお鍋にしましたからね。牛肉もカキもサケもあるもの皆入れた、ごた鍋よ」

「嬉しいな、日本の12月は寒くって震えていたの。あちらを出る時の服の 上に、カーディガンを羽織ってきたけど、それくらいじゃ足りないわ。  ママ、明日はコートを貸してね」

香織は台所と居間の掘りごたつの間を行き来して、ママが運ぶのを手伝った。それまで、しょぼくれていたおじいちゃんが、おいしそうに湯気を立てている鍋の匂いに、誘われたように、寝そべっていたのを起きて、座り直した。少し元気を取り戻したようだった。

志織は、おじいちゃんが夏よりもずっと老け込んでいることに気づいた。
「おじいちゃん、好きなものや欲しい物を、よそって上げるね。これを  食べて、元気を出してね」

おじいちゃんは自分より若い娘婿の香織のパパが、死を間近にしていることに、打ちのめされているのだ。昨日帰って来たばかりの香織に「妻を亡くした時も辛かったが、それよりもっと辛くて、体にも心にもこたえるよ」と、呟くように打ち明けたのだった。
それはそうかも、と香織も思った。娘婿ながら、頼りになるひとり息子みたいなものだったのだから。 

あつあつの白菜、ニンジン、春菊、ネギにとうふ・・志織は久しぶりの日本の野菜の味に感嘆しきりだった。
「向こうでも手に入るけど、野菜の味も形も違うのよねえ」

香織も寮では洋風が多いので、鍋物など一度もなく、これがうちの味なのだと、思いきり噛みしめて味わった。

片づけが終わり、おじいちゃんをベッドに寝かせてから、香織は志織といっしょに入浴をすませ、和室の布団で、並んで寝た。

「明日、目をさましてるパパに会えますように」
と志織が声に出して、祈った。
「早くお話ができますように。ぜったいに生きていてね、パパ」
と、香織も声に出した。

「私は月曜に、寮に帰ることにしてるのよ。お兄ちゃんには会えるかなあ。すれ違って会えなかったら、帰りに寮に寄ってねって、おねえちゃん、伝えてよね」
「わかった、言っとく。それと、パパに何かあったら、オリにすぐ連絡  する。携帯、忘れず持っていてね」

香織は頷いた。2人は手をにぎり合って、しばらく黙っていた。心に祈りを続けながら。

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