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11-(5) 世界中の女の人が

お手洗いの中は明るく、柱にかけた花瓶に、白いキクの花が飾ってあった。

マリ子はもう少しでおわり、という時に、ふと下に目を落として、息が止まりそうになった。どこかに明かり取りでもあるのか、便つぼの中まで明るく見えていたのだが、あちこちに赤いものが散らばっていた。

だれか病気なんだ! あんなに血が・・。あのおばあさん?  それとも、 おじさん? まさか裕子じゃないよね。

それにしても、だれも病気らしく見えた人はいなかった。マリ子たちに心配をかけないよう、がまんしてるのかな。それとも、ほかにだれか別の部屋に病人がいるのかな。

マリ子は長い廊下を、あれこれと考えこみながら、ゆっくりと戻っていた。裕子にきいてみたほうがいいのか、それとも、知らない顔をしてた方がいいのだろうか。

カタカタ! 左手のガラス窓が音を立てた。マリ子がふっと視線をむけると、ガラスのむこうに、裕子のおばあさんがはいつくばるようにして、マリ子を見上げていた。

おばあさんは障子戸を開けると、にっこりして言った。
「マリちゃんじゃったな。ちょっと頼みがあるんじゃけど」

おばあさんは手招きして、へやの奥の布団の山を指さした。
「さっき裕子に5本の針に糸を通してもろうたけど、もうみててなくなってしもうた。糸を通してもらえんじゃろか」
「はい」

口の中でそれだけ答えて、おばあさんの後を追った。

おばあさんは、何枚かのかけぶとんに、ビロードの襟をぬいつけているところだった。マリ子はわたされた太いもめん針に、黒糸をつぎからつぎへと通していった。

「マリちゃんはええ目をしとって、ええな。せえに、脚も元気じゃなあ」

おばあさんは、ちょっと首をすくめて笑った。それから気がかりそうに言いそえた。

「マリちゃん、きゅうにおなかでも痛うなったんとちがう? 今日の食べ物がなんか当たったんじゃろか、わたしがけさから作ったんじゃけど、気に なってな」

マリ子は10本目の針に糸を通しながら、目をぱちくりさせた。聞きたい ことがあるのは、マリ子の方だもの。

「さっきの行きがけのマリちゃんは、空をとぶみてえに、元気に走っとったじゃろ。今はしずしずと、おとなしすぎて、どうしたかと思うて・・」

ひゃあ、見られてたんだ!

「なあんも、かくしとることはいらんよ。おなかが痛いんじゃないの?」

おばあさんにまた念を押されて、マリ子は強く首をふった。それから、言いにくいけど、思い切って言った。

「・・あの・・お便所に、血が・・だれか病気かと思うて・・」

おばあさんは口を半びらきのまま、マリ子を見つめた。それから、ようやくあわて声になって言った。

「マリちゃんは、まだだれにも教わっとらんのん? 裕子には4年の初めに、話しといたんじゃけど。ありゃ、病気でもなんでもありゃあせん。女のしるしでな、おめでたいことなんぞ」

「なんで? 血がおめでたいん?」

「ほんまに、なあんも聞いてないんじゃな。あのな、女の人は、生まれた時から、身体の中に〈赤ちゃんのへや〉をもっとるん。せぇで、人によって ちがうけど、10いくつになると、そのへやで赤ちゃんを育てる準備が始まるんじゃ」

マリ子は全身を耳にしていた。そんなことが・・?

「うちの身体にも?」
「そうじゃ。マリちゃんはまだ準備ができとらんような。月に一度、卵の へやから卵が出て、赤ちゃんのへやで、男の人の赤ちゃんの種がくるのを 待つんじゃけど、種が来ん時は、卵は使われんで、外に出るんじゃ。その時、血が出るけど、痛い人もいるけど、たいていはそう痛くはないんよ」

そんなややこしい、変なことが起きるの? 毎月だって? たいへんだ!

「マリちゃんには、ようわからんかもしれんけど、女の人なら世界中どこの人でも、同じじゃ。赤ちゃんが産める身体に育ったよ、という印でな、それだけ大人になった、ちゅうことじゃ。じゃから、初めてそうなった時には、お祝いしてお赤飯たいたりするんよ」

「ほんなら、今日のお赤飯も?」

「いやいや、ちがうが。ありゃ、ただの11歳のたんじょう祝いじゃ。裕子は身体が小そうて、やせとるけん、まだまだじゃ。先に身体がしっかり大きうならにゃ。背が伸びて、ふっくら肥えてからじゃ。それだけ身体の準備がいるんじゃ」

マリ子はその時、海でのできごとをはっきりと思い出していた。大屋の加奈子や、寺の静江がこそこそと話してた。終ってよかっただの、女はめんどうだ、とか・・。このことだったのか! ほんとに何も知らなかった。身体の大きい、成長の早い女の子は、みんなそんな重大な秘密をかくしてたのだ。

「そげに深刻な顔せんでもええんよ、マリちゃん。一生の長さで考えりゃ、半分にもならんほどの短い期間だけじゃ。その間は、いつでも子どもが産める、一番元気で、一番だいじな、花の開いとる時期なんじゃ」

マリ子の視線で、問いを察したのか、おばあさんは声を立てて笑って言った。

「わたしらは、もうとっくにしぼんでしもうてな。花の時期はおしまいなんじゃ。たいがい50代でおしまいの人が多いそうな」

「ほんなら、40年も!
「そうじゃ。長そうなけど、短いもんで。マリちゃんの身体の中にゃ、宝物みてぇな、卵のもとが、ぎょうさんしまわれとるんよ。せえに、これは女ごだけの特別な誇らしいことなんよ。男の子じゃって、おかあさんから生まれるんじゃから。男の子も種はもっとるけど・・」

おばあさんはそう言って、ほんとうに宝物を支えるように、マリ子の肩をやさしく抱いた。

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