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4章-(5) 在日延長と姉へ手紙

直子といっしょに寮に帰り着いたのは、夕方の7時頃だった。江本先生が 心配されていたのか、階段の途中の手すりにもたれて、待っていらした。

「遅くなってすみません。電車の本数が少ないので、武蔵五日市駅で30分も待たされたんです」
と、直子が説明してくれた。

「でもまあ、無事でよかったこと! 秋の日は暮れるのが早いものだから、やっぱり心配でね。お腹がすいたでしょ。夕ご飯は食堂にありますよ」

「ありがとうございます!」
2人で答えて、直子は階下の10号室へ、香織は2階の10号室で、急いで着がえて、食堂へ向かった。

「お昼のご馳走があって、ほんとに助かるね。寮のは、それなりにおいしいけど、結城君のママの手作りには、かなわないよ。あたしもあれくらい上手になりたいわ」
と直子が言った。

夕食はチキンクリームシチューと、レタスサラダと、香の物だった。
食べながら、直子が話し始めた。

「ポールがね、本気で留学を延期することにしたんだって。アメリカの両親も承知してくれたそうよ」
「そうなの? よかったね。大学は水産大学にしたいって言ってたでしょ? てことは、これから5年間は日本に滞在するってことよね」

「そうなの。嬉しくって! 彼、本気で受験勉強も始めてる。日本語の文字を読めないとだめだ、と言い出して、文字も覚え始めてる。私も手伝って あげてるの。でも、時間がなかなか取れないし、彼も忙しいから、時間を 合わせるのがたいへん。電話の会話だけじゃ、足りないし、本格的な日本語の力にはならないわ。オリは英会話の日に、ポールに日本語を教えてるんでしょ。丁寧に教えてあげてね」

香織は吐息をついた。
「私、教えるの下手みたい。日本語をどう教えればいいのか、見当がつかなくて」

その時、ふっと『台所のマリアさま』の本を思い出した。
「ね、こんなのどうかしら? 翻訳されてる本と、英語の原本と両方を合わせてみながらやれば、日本語ではこうなるのよ、というのがうまく伝わる
かもしれない、そう思わない?」
「わっ、それいいと思う。ポールにそれ、やってあげて、お願いね」

香織はいい思いつきに思えて、笑顔になった。ほんとにそうしてみよう。 あの本は大好きだし、実験してみる価値があるわ! 

その夜、志織姉に手紙を書いた。手強いアメリカの法廷で、香織が書いた ものが通用するのかどうか、見当もつかないけれど、姉に結城君の言って くれたヒントを送って、少しでも気を楽にさせて上げたかった。

 「志織お姉ちゃんへ、

どんなに大変な思いをしているか、伝わってきました。私の方は文化祭で あの額縁ニットが騒ぎになって、未だに注文された品数を、やりとげるために1月までかかりそうです。同じクラスの仲間の人たちが、荷造りや郵送を手伝いに、土曜日ごとにへやまでいらしてくれて助かってます。あのニットのおかげで友だちは増えたし、ニコル先生にも感謝されて、私は幸せです。

運動会は、走れないし踊れない私は、放送係にされて、ラジカセで音楽を 流す役で、とっても楽しかったです。

その後、ワンゲル登山は、歩き易い御嶽山と日の出山に行ったのだけど、 その時にね。結城君がいいアドバイスをくれました。(おねえちゃんの手紙を見せてしまって、ごめん。私じゃ何も思いつかないから、彼に助けてもらいたかったの!)

結城君が言うには、男の側がコンドームとか、避妊の手順は何もしないで、そのことには、まったく触れず、法廷で、相手を責めるだけで、相手への 愛情とか思いやり、身を守ってやる気持ちが、感じられない。言い逃れだけ並べ立てるとは、卑怯者だ、って言ったの。

この男、確信犯だ、とも言うのよ。私、その言葉がよくわかんなかったんだけど、避妊を女性だけに頼って、平気で相手を責めるなんて、ずるいと私も思う。

それから、結城君はこうも言ったの。男は自分が原因で生じた結果を、潔く引き受けて、最後まで相手を守ってやるべきだって。それと、相手の男が、他の女にも同時に関わっていたことが、バレたりしたら、陪審員の人たちの心証はだんぜんジェインに有利になるって。私立探偵に調査を頼めば、すぐわかるそうよ。

このこと、言ってみるべきだと思う。陪審員の半分は女性なんでしょ? 共感してくれるはずよ。結城君のおかげで、私もなるほどと思えて、このことだけ伝えますけど、何かの役に立ちますように!


そうそう、10月恒例のへや移りがあって、今度は江元寮監先生の隣のへやで、さくら班なの。直子も同じ班で嬉しかった! 今度のルームメイトは、山口愛子さんで、東大目指して毎日ものすごく勉強してる人。私は教科書の勉強と編み物、散歩を続けてる。アイさんとはうまくいってるのよ。では、編み物にかかりますので、またね。元気でがんばっててください。 香織

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