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6章(8)人生岐路の私

今日、都立高校の非常勤講師を11年続けている私に、電話がかかってきたの。同じ八王子市内のはずれにある、「K中学高等学校」という私立女子校からの誘いで「4月から、うちの高校の先生になってくださいませんか」と言われました。年配の男性教師のようでした。

都立の非常勤講師というのは、1つの高校に英語の時間数がなくなれば、 空き時間のある、別の学校に移ることになります。それで、毎年2月末には、10数校の学校の教頭からTELが来て、来年度の仕事をもらうわけですが、私は幸い、車で10分で行ける南多摩高校には、8年勤続してたの。ただし、あと1年でクラスが減るので、私の時間はゼロになりそうで、別の学校へ移ることになります。

都立高に移ってから最初の5年間に、6校を次々変わり、かけ持ちもさせられたので、落ち着かなくて,生徒と馴染む時間も足りなくて、不満感があったので、友人に「どこかの私立女子校があれば、移って落着きたい」とその頃、ぼやいたらしいの。それを覚えていてくれた友人が、この話を持ち込んでくれたわけで、うむ、と考えこんでしまいました。現任校には馴染んでいて〈幸せ〉と思っていたからね。それと、最初に赴任したK女子校の、良い
印象が残っていたので、あのような学校ならいいけど、と迷いもあって。

でも、先の事を考えて受けようと思い、履歴書、健康診断書、免許状写し など用意して、K女子中高校の校長面談に行くことにしたのです。

都立高を去ることで、何より残念なのは男子がいなくなることでした。手間ばかりかけさせる連中だけど、かわいい憎めない彼らと別れるのは、泣きの涙なの。どういうわけか、私はすごいオバサンの年なのに〈子ども〉と見抜かれて、よく話しかけられたり、バカにもされるの。つい先日は車のライトをつけ放しで、授業を1時間終えた時、校内放送で、大音量で通報され、大あわてで4階から1階へ駆けつけたら、体育に出て行く生徒たちが待ち受けていて「先生、バッテリが上がっちゃうよ、ドジだなあ」だって。ほんとにそう、エンジンがかからなかった。
「先生、今度の授業、自習にしてくれたら、オレたち、直してやるよ」  だなんて、流し目するのよ。

もちろん、彼らにそんな技術があるわけなく、業者に来てもらって、4000円取られて,シュンとしたけど、受験のための英語の勉強の仕方を、訊きに来たり、共通一次がダメだったとか、お、先生! とかよく話しに来るのは、男子生徒でした。今年は、2年生の女生徒たちが、よく話に来ます。たぶん『あじさい寮』の本のせいかも。


結局、私は「人生の岐路」を曲がらないことに決めました。女子校を選ぼうと思い決めて、都立高の仲のいい先生には2,3の人に話したりしていたのに、自転車で山の中腹にあるその女子校へ向かい,25分で到着した後の、幻滅感はこたえました。女生徒は純真そう、と好印象なのに、校長の第一印象たるや、 教育者ではなく〈やり手事業家〉そのものの感じ。教育の中身より、入れ物しか眼中になく、教員などは歯車のコマの1つで、いくらでもすげ替えられる、と考えているのが見え見えだった。

ちょうど校長が話し合っていた人を、入り口で送り出しながら「これで儲かるといいんだがね」と、にこやかに別れて、私と対面すると、にこりともしないの。私の隣にいる英語科主任の人が、校長にペコペコしっ放しで、校長を怖れている感じ。ワンマン校長なのだ、とすぐに察したわ。そして、校長の質問の中で、私の出生地が釜山(プサン)と知り、北朝鮮からの引揚げ者と分ったときの校長の顔! もちろん、採用どころかですし、私の方がもっと、こんな所ごめんだわ、と思った。

印象としての嫌悪感だけではなく、給料は都立よりもグンと低く、ボーナスはゼロ。組合もないにひとしいと、英語科主任が、校長室を出た後で、私に話してくれました。生徒の質が下がってきて、大学進学率が悪くなってきたと、校長に突き上げられるのは、英語科なのだ、と主任は言ってました。私に「都立高を止めない方がいいですよ。僕だって、できるものなら、ここを抜け出したいけど、もう年ですから・・」と、諦めた声で言っていました。

同じ系列の、都心にあるK女子大学の方は、数ある女子大の中でも、トップクラスの給料の良さで有名だそう。創立者のH・K夫人の力で、自民党関係からの献金が かなりあるらしい。私が会った校長は、いかにも自民党の小物らしい風貌でした。

結局、後味の悪い印象を残して、K女子中高校はお断りすることになり、 この話をつないでくれた友人に、お詫びしたのでした。

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