1章-(4) つるは どこへ
とむらいの客がみな去って、静まった家に、線香のにおいが立ちこめて いる。仏壇のろうそくのあかりの前で、とうちゃんは本家のばあちゃんや、しげ伯母に、何やら迫られている。とめ吉とすえは眠ってしまったが、かよには、おむつ洗いが残っていた。
かよは口を真一文字に結んで、川から水をくみあげては、ランプに照らされたほの暗い土間を走り、庭先のたらいへ空けていく。葬式でごたごたと人が出入りしている間も、赤ん坊は乳を欲しがり、おしめを汚す。
かよはしげ伯母が、なぜか赤ん坊を、よそ者の入らないふとん部屋に寝かせて、誰にも見せようとしないのを知っている。この2日間、かよはしげ伯母の目をぬすんで、米粉を煮たものを運んでやったのだ。
かよはひそかに、赤ん坊に〈つる〉と名づけて、小さく呼びかけながら、 米湯を飲ませていた。かわいくて愛おしくて、抱きしめたいのに、しげ伯母の目を気にせずにはいられなかった。
「何日ももたんじゃろ。なんしろ母親が弱かったけん」
と、しげ伯母は、とむらいの客ごとにそう言っていた。
暗い星明かりを頼りに、手さぐりでごしごしおしめを洗いながら、胸の中の熱いかたまりを、むりやりのみ込む。つるはかあちゃんの生まれ変わりじゃけん、うちが絶体守ってやるんじゃ!
かあちゃんの力つきた白い細い顔が、目に焼き付いている。あんなに汗を かいて、どんなに水がほしかったろう。ひと声も「水おくれ」と叫ぶ力も なく、逝ってしもうた。うちが桶一杯も 水をこぼしたけん、かあちゃんに最期の水をやれなんだ。お水神さまの罰じゃ、うちのせいじゃ。かあちゃんごめんよ、ごめんよ。
かよはこらえきれずに、うううう、しゃくり上げながら、おしめを絞り上げた。汚れ水をそっくり 田んぼに流しこんだ。夜になっての辛い仕事のはずなのに、かよはつるのために働くことで、せめてもかあちゃんを愛しんで いるのだ。
ゆすぎ上げて、手探りで、軒端の低いさおに通しかけた時、雨戸ごしに中の声が聞こえてきた。
「汐入川に流した方がええ。昔からそうしてきたんじゃけん。まだわからんちぅのか」
と、本家のばあちゃんの焦れている声がする。長女のしげ伯母は、しぶっているようすで、こう言った。
「海までええげんに流れて行ってくれりゃええけど、見つかったら余平さんが捕まるど。今は間引きは、法律でおえんことになっとんじゃ。あのまんま、布団部屋で弱らした方がええて」
しげ伯母の押し殺した声に、かよは頭をガツンとなぐられた気がした。つるを殺す相談をしているのだ。余平とうちゃん!
かよはふるえる手で、干しかけたさおを元に戻すと、表口から駆けこんだ。
「とうちゃん、つるは、うちが大きうするんじゃ!」
声が上ずって悲鳴のようにひびいた。あんちゃんが、川で手を洗ったのか、のっそりと土間に入ってきた。
5尺2寸(156cm)の小さいとうちゃんは、でっぷり太ったしげ伯母の前で、うつむいている。ろうそくのゆらめく光の中に、ほおのこけたとうちゃんの横顔が、暗い影を作っていた。
そのとうちゃんを、なぶるように、しげ伯母が大きな声で、かよに向かって言った。
「つるやこ、やっちもねえ名をつけて、あほか。あんたのとうちゃんはな。5人も子を育てる甲斐性はねえんじゃ」
「そんなら、本家で育ててくれりゃええが。ばあちゃんの孫じゃが!」
かよは震えながら、細い声をせいいっぱい張り上げて、叫んだ。いつもは おとなしいかよの、どこにそんな強さがひそんでいたのだろう。かよは、 かあちゃんが命をかけて残した、新しい命を奪われまいと、ただその一念であった。
「うちゃあね、おなごは、もうたくさんじゃ」
ばあちゃんが、すまし顔で言った。しげ伯母で3代、ムコ取りばかりの女系家族だ。この村きっての大地主の須山さまの、遠縁に当たることが自慢だった。それだけに、かあちゃんが、財産もない顔なじみのとうちゃんに嫁いだことを、いつまでも許せないのだった。
「かよ、やめとけ。本家に頼めるはずねえじゃろが」
あんちゃんが上がり口に座ったまま、怒りを抑えた声で、ぼそりと言った。
「放ってぇて、つかあせえ」
とうちゃんがふいに、顔を上げて、こぶしをひざに押しつけて言った。
「わしに考えがありますけん。どうも、いろいろと世話をかけてしもうて。今日は、これで、こらえてつかぁせぇ」
やわらかい言い方ではあったが、話をきっぱり、打ち切ってしまった。
「考えがあるちうても、なんでも早うせんことにゃあ、赤ん坊はどんどん 大きうなるんで」
しげ伯母は腰をうかせながら、ちらとかよを見上げると、捨て台詞を残した。
「早うから気が強うて、嫁のもらい手が、のうなるで」
「そげな心配、してくれんでもええが」
あんちゃんが、背を向けてわらじを脱ぎながら、きっぱりと言い返した。