(120) ゆとり
「石川」の信号を超え、20号線のイチョウ並木の影の中を、車を走らせながら、森君の胸は高鳴っていました。2年ぶりの懐かしさが押し寄せて来て、息苦しいほどです。
広い通り、両側の家々のわきには、小さいながら庭があり、若葉が色を増しています。5月の連休です。
バイパスに入ると、エンジュの威勢のいい枝が、道の目の届く限り続いています。
転勤先のK市で暮らして2年の間、恋しくてならなかったのは、この緑の点在する景色と空間の広がりでした。緑の山々に囲まれ、街中の通りには、並木がどの通りにも続いているのですから。
K市で目に入るものと言えば、2台の車がやっとすれ違える狭い道と、びっしり立て込んだ家々でした。庭木のある家などほとんで見当たりません。見渡す限り、灰色とベージュ色が続き、街をおおう空気まで、厚くよどんで見えました。
元の同僚たちのアパートへの路地を曲がろうとすると、数台の車が通りへ出てくるところでした。森君が車を左に寄せて待っていると、一台ずつ会釈したり、手を上げたり、警笛やライトで感謝の合図をして、脇を通り過ぎて行きました。
そうだ、これだった! 森君はあやうく涙ぐむところでした。
K市では、道を譲っても、礼を返す人はだれもいなかったのです。
この町では、車は増えても、まだ礼を返すゆとりを失ってはいないのでした。森君は再転勤を願い出たくなりました
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