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7章(9)HSの韓国講演・徒然草
あなた、8月の〈日韓児童文学作家のシンポジウム〉に招かれることになったのを、受けるか断るか、私に決めてほしい、ですって? あなたはきっともう心の奥では、80%くらい「やっぱり行かなきゃ」と決めているのよ。だって、韓国はあなたの生まれ故郷だし、16歳までの思い出が、詰まっているでしょ。韓国については、これまであなたが生き方として、考え方として拘り続けて、それを本の形で、発表してきて、かなり多くの人に、影響を与え、支持されてきたというパターンを経ているので、書いた当人として、言い放しで背を向けたままではいられない、責任みたいなものがある、と私は思うの。だからさ、「ほんのちょっぴりなら、話す」という条件付きで、出演するといいと思うな。ほら、背中をポンとひと押しして上げる。ポン! 元気出して行ってらっしゃい。これ、速達で送るからね。
そんな返事を出そうとして、トイレに入ったら、窓ぎわの棚に『徒然草』の本を置いてあるのだけど、気まぐれに開けてみたら、「第九十八段」「しやせまし、せずやあらましと思ふことは、おほやうは せぬはよきなり」という一文があって、あら、するかしないか、悩んでしまうようなものは、大体はしない方がいい、だって。そうは言っても、これは中身によりけりだわ。よくよく考えると、吉田兼好とは逆の考え方もあるわけで、やらなかった ことを後悔することも、多いと思うな、私は。
あなたの場合は、韓国を土台にした作品が,韓国の人にも読まれてるほど だから、そんな関わりのある人を、招待しないのは、韓国側の落ち度になる場合だって、あるほどのことだと思う。やっぱり、書くというのは、なまじの書き散らしでは、無責任になってしまうところが,多分にあると思うな。
今日は、K女史と新宿でお会いしてきました。私に『あじさい寮』を、もう一度別の形で書いてほしい。3人称で軽快に楽しく、ということでした。 新しい少女文庫シリーズ「きらきらテイーンズ」とかいう企画の中に、私のも入れてくれるらしい。最初の4冊は、もう動き出していて、立原えりか、薰くみことか、イギリスのペイトンのシリーズも入るそう。ハードカバーの小型で,千円くらいですって。
うまく出来上がったら、私のは来年2月頃にでもできるはずですって。やれるかなあ。自信はないな。というのは、T・Fさんに送った幼年物が、戻って来たし、簡単にはいかないや、と思ったばかりだったから。
『森の家の巫女ー高群逸枝』西川祐子著 という本を読みました。高群逸枝という、詩人であり、女性史研究家だった先駆者の伝記ですが、その人の大変な情熱と集中力と、言葉のほとばしりに圧倒されました。いつも支援者に恵まれていた彼女の魅力に、目を見張りました。理解しがたい部分もあったけれど、2年間に4000冊の本を読破して、メモ取りを続けたのね。33年間、200坪ほどの森の中の家に閉じこもって、研究と書き物三昧を続けたなんて、驚き! はるかに仰ぎ見る思いでした。
前回、このノートの封筒を〈のり付け〉しないまま、送り出してしまったのだって、この私が? 速達にするのに夢中になったせいかも。あなたの「よくぞ無事にノートさんが着いてくれた!」って、ほんとねぇ。のぞき見とか、読まれるとか、封筒から落っこちるとか、何事もなくてほんとによかった! 今度はきちんとのり付けいたします、はい。