5-(1) その朝
その朝8月5日は、カンカン照りの海水浴日よりになった。朝から、子どもたちのはしゃぐ声が、西浦中にひびいていた。イグサ刈りの大仕事が終って、どの家でも、この日を楽しみにしていたのだ。病人と年寄りを除いて、地区全体のほとんどの家がからっぽになるほど、大勢が参加するはずだった。
「バスが来とる。お兄ちゃん、はよせにゃ」
マリ子は、2階の窓から大型の貸し切りバス2台を見つけて、わめいた。22日市の県道わきに止めてあるのが見える。
お兄ちゃんは、まだねまき姿のまま、ぐずぐずしていた。
「マリ子、弘、おべんとうができたよ」
おかあさんが階下から、呼び立てた。マリ子はお兄ちゃんの背中をひとつきして、階段へ逃げた。
おべんとうといえば、この村ではふと巻き寿司に決まっている。折り箱の すきまから、のりの香りがぷんぷんしている。マリ子は自分の手さげカゴの中に、ていねいに入れた。ワンピースを着ると、なぜかしぐさまでかわるみたい。
「そのワンピース、着心地ええじゃろ」
おかあさんはマリ子の着ている、水色の地に白の花模様のワンピースを、 ほれぼれとながめた。少し長めで、頭からすぽんとかぶれば、それでおし まい。ゆったりして、どこもしめつけられず、らくちんの服だ。
でも、マリ子が気恥ずかしいのは、背中に大きなリボンをむすんでいるのと、そでの代わりに、肩にフリルのあることだった。これこそ〈おかあさん好み〉だ。ただ、風がえりからもわきの下からも、すそからも入って来て、たしかに涼しく着心地はいい。
それでも、マリ子はまだ不満を解消できずにいた。おかあさんは夕べマリ子の服と、手カゴと白いサンダルと、リボンのついた麦わらぼうしを押しつけたのだから。
どうして半ズボンじゃだめ? なんでリュックじゃだめ? いつもの野球帽をかぶって、いつものゴムぞうりでいいよ、とマリ子はがんばった。命令 しないで、と。
けれどおかあさんは、あの自転車の練習の時のねばりを発揮して、ついにマリ子を根負けさせた。
「わし、行きとうねぇ」
やっと階下へ下りてきたお兄ちゃんが、ぼそっと言った。まだねまきと 腹まきをつけたままだ。
「おなかが痛いん?」
おかあさんはお兄ちゃんのひたいに手を当てて、熱をはかった。
「熱があるんか?」
おとうさんがワイシャツのボタンをはめながら、たずねた。おかあさんは 首を振った。
「バスに乗るの、いやじゃ。気持ち悪うなるし、海に入りとうねぇし・・」
「今ごろそげんこと言うて、みんなに迷惑じゃが」
マリ子はじれったくてたまらない。せっかくの楽しみを、自分から見逃す お兄ちゃんが理解できない。
「マリ子はだまってて。みんなに迷惑かけるのんは、あんたの方が多いん じゃから」
おかあさんはさっそくお兄ちゃんの味方をした。マリ子はそっぽを向いて、麦わら帽をらんぼうにかぶった。
おとうさんがクフっと笑った。マリ子はおとうさんもあやしい、とにらん でる。野球部の仕事がある、というのは口実で、村の人といっしょに、海へ 行きたくないためかもしれなかった。
おとうさんはお酒が1滴も飲めないし、みんなと手拍子たたいて歌う、なんてまるでだめなのだから。
「弘には、浜辺は暑すぎるはなあ・・」
おかあさんが、お兄ちゃんに同調して言った。
「しようがねぇ、弘は留守番しとくかちこ」
お父さんのひと声で、お兄ちゃんは目がさめたみたいに、はずむように2階へ上がって行った。着替えをして机の上の分厚い本に、今日1日取り組めるわけだ。
「おべんとうとおかしを、置いとくけんね」
おかあさんは叫んだ。
お父さんは学校へ出かけて行き、マリ子とおかあさんだけで、バス乗り場に向かった。
土間には、おかあさんのあずき色の自転車が静まっていた。きょうは〈りんじ休講〉で、車体に傷をふやす心配はないのだった。
(画像は、蘭紗理作)