2章-(8) 人生は5分5分
自転車売り場にも、子ども用自転車からママチャリから、マウンテンバイクまで、いろいろある。父はここで念入りにタイヤやブレーキを調べ始めた。
その時、後ろから声が聞こえた。
「ここだ、ここだ、雅彦。こんどこそ盗まれないよう、目立たないのを 選べ」
やっと見つけて、ほっとしたような父親の声だ。さっきの男の子が、ふり むいたみゆきの目に、赤くなって照れているのが見えた。
「え? 知りあいか?」
声をひそめてたずねる父親に、息子の方も小さく答えている。
「1組でいっしょ・・転校生だよ・・」
みゆきは同じクラスなんだ、と初めて気づいた。
その父親はすぐ気さくに、みゆきの父にあいさつの声をかけた。名前は米山だって。
「こいつが、買ったばかりの自転車を盗まれましてね。1か月待たせたんだが、戻らないんで、しゃあない。中古でがまんてことにして・・。野球部は、自転車がないことにゃ・・」
みゆきの父も、これで充分だ、と1台自分用に選んだのを指さした。黒っぽい、車体のがっちりした〈おじさん自転車〉だ。
その時、父はふいに気づいたように、もごもご言った。
「自転車は乗って帰れるが、冷蔵庫と洗濯機とテーブルは車なしじゃ、ムリだな。この店は配達を頼めるかなあ」
米山君が父親をふりむくと、父親はすぐにうなづき返した。
「よかったらうちのミニトラックに、乗せたげますよ」
みゆきの父は恐縮して、断ろうとしたが、米山氏は言い張ってきかない。
「遠慮するこたぁないや。野球部の親たちは、遠征なんかに子どもらを乗せたり、しょっちゅう助け合ってるんで、このくらい、なんてこたぁないや」
「ありがとうございます」
そんなわけで、米山君が自転車選びをしている間に、父は支払いをすませ、ほんとうに米山氏の、ミニトラックのおせわになることになった。
「わざわざ遠回りしてもらうなんて、悪すぎます」
父は買い物を、トラックの荷台まで運ぶのまで、米山氏の手を借りなくてはならず、しきりに恐縮している。みゆきはまるで役には立たず、財布の入った父のバッグを抱えているだけだった。
「なんのなんの、たいしたことないって。雅彦、おまえはその自転車で 帰れ。今日くらいは店の手伝いをやっとれよ」
「わかってる。じゃあ・・」
雅彦はグレーの車体の自転車にまたがると、走り去った。最後のじゃあ、はみゆきに言ったのかもしれない。
自転車もすべて荷台に乗せ、3人でせまい運転台にぎゅう詰めに座った。 みゆきは端に小さくなっていた。
父が道案内しながらの、道みち2人の話から、米山氏は中学校の東500mあたりで、酒屋をやっているが、酒屋だけでは店が成り立たず、カラオケつきのスナックもやっているのだとわかった。
「これをご縁に、ひいきにしてやってくれれば、うれしいっす」
米山氏は〈さくらアパート〉の1号室に、すべてを運び終えるまで、手を 貸してくれた。
父がお礼をさし出そうとすると、怒ったようにきっぱりと断って、帰って 行った。
その後、父はしみじみと言った。
「人生、捨てたもんじゃないね。いい人はいるんだなあ」
それから自分に言い聞かせるみたいに、ひとりごとのように言った言葉が、みゆきの耳に残った。
「・・以前は、いい事と悪い事は5分5分で起こるのが、人生だと思って いた。それが、土屋のせいでひっくり返されて、8割か9割はつらいこと ばかりで、悪いことの方がだんぜん多いと思えた。病気や貧乏や、災害や 事故や、騙しや裏切りや憎しみなど、いやなことは山ほどあるからなあ。
反対に、いい事はささやかで、目立たなくて、意識しなけりゃ見つからないものが多いのかもしれない。それに目を止めるようにすれば、5分5分に近づけるのかもしれないな。うん、きっとそうなんだ」