「遊んで、戦って、また遊んで」
みなさん、こんばんは!遠藤塾の塾生、山梨県立大学4年の長坂愛です! 以後お見知りおきを m(__)m
今日(9月11日)は塾長の遠藤史哉さんと共に身延山大学仏教学部特任教授の柳本伊左雄先生の工房に伺いました!以下、私の感想文になりますが、お付き合いして頂けると嬉しいです。少しでも読んでいただけたら跳ねて喜びます!
生きるか死ぬか。脅かし、脅かされる。まるで、究極のサバイバルゲームのよう。私は今日、 そんな人生を歩み続けている先生に出会った。
残暑も厳しく、少し歩けば汗が流れる暑さの中、遠藤塾の面々が久しぶりに覚林坊に集まった。現地組は遠藤塾長、県立大学の兼清先生、私の兄で僧侶の貞優上人、学院大学2年の若尾ちゃん、 県立大学1年の夢亜ちゃん、そして私の計6名。
今日は身延山大学仏教学部特任教授の柳本伊左雄先生の工房にお邪魔した。
先生は笑いながら話していたが、正直私のような学生世代には「歴史の教科書レベルに」未知の世界、遠い過去のようなお話でもあった。
学生運動
実存主義
サルトルにマーガレット(少女漫画)?
右翼に蒋介石……!?
やや分かる。
でも今の自分とはかけ離れすぎて聞いている最中も頷くばかり。
そんな今とは違う社会を経験した先生が、彫刻家として目指したのは「一流」。先生いわく、「一流」とは歴史に残る仕事をし、生き残った人達のこと。
学生演劇での舞台装置づくりに魅せられ、独学で彫刻を始めると、歴史に名を残す「一流」の先生に弟子入り。基本的人権もないような現場で、5年はほぼ雑用。
しかしそこで先生は、「一流の仕事」を間近で見続けた。それが今に繋がっていると言う。
「一流」になる過程においてはもちろん敵も壁も多い。心も体も蝕まれる、いわば苛烈な競争社会。追い込まれて、追い込まれ続ける。
その中で先生は今まで「生き抜いて」きたのだ。
私たちの思っている、「いわゆる芸術家(アーティスト)」と先生は違う。
正直私は朝ドラのようにひたすら努力して、紆余曲折があって、挫折を繰り返して、ついに夢を叶えました的サクセスストーリーが聞けると思ってた。
しかし先生の口からでたのは、こんな言葉だった。
「謙虚になるな」
「言葉を信じろ」
「誇りを持て」
「1回も挫折はしてはいけない」
「プロセスの途中は気にしなくていい」
『我が道を行け』
『考えるより動け』
計算しつくされた中で、
決まった方法で、
生きるのはつまらない。
やってみるだけやってみればいい。
これは私たちのプロジェクト(=「遠藤塾」)にも通ずるのではないだろうか。ただただ興味本位で集まった学生と大人達。参加日も参加時間も参加方法も自由。
そんな私たちだからこそできることを
「やってみる」
もしそれができそうになくても
「やってみる」価値はある。
「おもしろそう」
「楽しそう」
「おいしそう」
「見てみたい / 聞いてみたい」
全てが私たちの原動力になるはずだ。
「今もずっと遊び続けてるんだよ」
これが先生の「我が道」で、「生き残る」方法なのかもしれない。
朗らかな雰囲気の中にある強く、太い芯。そこにある「誇り」を忘れない。
守るべきものは守り、壊さなくてはならないものは壊す。
必要なことであるならば。
「まぁ・・・命がけではあったけどね」
そんなサバイバルのような日々が就職したら私にもくるのかな……
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