狼と蛇、さようなら
一週間くらい前かな。
宇多田ヒカルの「荒野の狼」を一晩中リピートして、明け方に感覚がおかしくなった。うっかり月に吠えちゃうかと思った。ヘルマン・ヘッセの原作(元ネタ)もまだ読めていないのに。
個展が終わってすぐ、大切な人ふたりから絶縁しようぜメッセージが届いた。
理由が恐ろしいほど、同じなのだ。
至極、私に過失がある。
つまりこちらの距離感の愛着バグにある。
愛着という言葉を使うとまるで先天的なもののせいにしている感があるが、そういった他責ではなく純粋に愛着がバグでしょうがないのだ。
それはさておき、なぜふたりが同じような内容を
同じ時期なのか、だ。
別々の人生を歩むふたりが同時期にひとりの人間に拒絶反応を起こすのは不自然だ。連絡ペースも、内容も、執着のベクトルも違うのだから。
つまり私が個展を終えて落ち着くまで待っていてくれていたのだ。
それは各々からの連絡にあった言葉の端のニュアンスや、インスタのストーリーの足跡のタイミングから読み取れるものだった。
【自分が痛みを癒して"あげる"側に着きすぎてそうじゃない人が自分がやった行為をどう受け取るかにとても鈍くなっている気がして、私は苦手です】
そう言われた。どうも私はかなりのエゴイストなのだ。
ずっと「愛されね〜な、我が人生...」と思っていた。
愛されなかったのではない。
想われていたから、私がパニックを起こさぬよう、自暴自棄にならぬよう、ずっとタイミングを見計らってくれたのだ。私への怒りを鎮めながら、さっさと断捨離したいであろう私への苛立ちの息を潜めてくれていたのだ。私が、私が、傷付けた。
失ってから初めて気付くなんて以下略テンプレート、
あまりに世俗に擦られまくったテンプレート。
それがここまで真理なことがあるか。
【神様とお星様に子どもが生まれますようにって望んで恵まれたから望恵ちゃんなのよ。】
そう言われながら生きてきたわりに、欲しいものを手に入れる術は身に付かず、大好きなものをうまく尊重することもできず、大切なものとの境界線を踏み外してはそれらを失ってばかりいる。
喪失が画布を彩るなら
私の加害はどこに行くだろう。
「許されるように、生きろ」
アンナチュラルの中堂系(井浦新)の声がきこえてくる。
ラストマイル、楽しみだな。
みなさんは満島ひかりは好きですか?
私は好きです。カルテットは観ましたか?
明日から夏休み。
とは言っても私は学生ではない。
フリーター兼ペインターで、美術品を取り扱うアルバイトをしている。
南海トラフ地震に備え、大量の作品たちが少しでも無事で在り続けるように、作品が積まれている台車の外側部分を厳重にロープや革紐で固定した。最後に隙間に板ダンボールを挟んだ。きっと完璧。無事でいて。
何かを壊すためではなく、壊れやすいものを守るためにビニール紐を何重にも重ねて糸の骨を太く強くしていくうちに、よく観に行く絵のモデルたちの緊縛ショーの世界に入って行くような感覚になった。投影はおこがましい。没入なら大丈夫だろう。
破壊は創造などという言葉に眉をひそめながら、
私はたくさんのものを破壊してきた。
誰にも目くじらを立てられないったらありゃしない。
ひと通りの労働を終え、スマホを見たら懐かしい人からの連絡が。美術予備校時代の友人で、その予備校で働いていて、デッサン用の女性モデルを探しているんだけどどうかという誘いだ。
夏休み中は上述したバイト先が閉まる。その間、何をして金銭を得ようか考えあぐねていたタイミングなのでとても助かる。旧友にも会える。
狼と蛇、私だけのモナリザと誰かたちのドミナント。
ふたりともさようなら。
いつか懐かしくなるだろうか。
色々と申し訳なかったな。
お元気でいてください。
そしてあなたたちから見た私は、少し常識と比べたらおかしいかもしれないけど、報復する系ではないので安心して生き続けてください。
あと罪悪感にも苛まれないでほしいんだ。
どうせ選びに選んだ言葉を、絞り出すように私に差し出してくれたんでしょう。
言葉がナイフにならないように、柔らかくするために研いで研いで、それが更に鋭くなっていないか怯えながら、それでも伝えてくれたんでしょう。
私の希死念慮を恐ろしいほど的確にキャッチしてケアしてくれるふたりだった。
私は「鎌倉ものがたり」で言うところの天頭鬼だったと思う。煩悩と業が凝り固まって形作る巨大な孤独。
飢えと願いそのものの姿。
謝りながら生きるってどんな感じなんだろう
下手くそかもしれないけど、やってみます。
私は生きます。大丈夫!
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