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設定したはずの「反攻の夏」に感じること。あるいは、未だ諦めないという意思表示。

J1においてなかなか難しい時期を過ごしている名古屋グランパス。クラブが捲土重来として位置付けた節のある『鯱の大祭典』においても一勝一敗と、正に一進一退の様相です。

昨日のサンフレッチェ広島戦においては、その試合内容も相まって、ハイライトすら観ることができておりません。

しかし個人的な感想としては、そういったやるせない状況にありながら(今月はアウェイ京都遠征もなかなか辛いものでありました…)、ホームの東京ヴェルディ戦と広島戦にて周囲の相互フォローさん3名と「初めまして」をさせていただき、信頼できる距離感を掴めると一気に物理的・精神的障壁が下がることに気付け、敗戦翌日の本日、これまでにないくらい穏やかに過ごせたように思います。

今朝から夕方にかけて一切「X」のアプリを開かなかったということもありましたが、これまでデジタル上での「いいね」のやり取りしかなかった3人と顔を合わせられたことにより、試合後の安息感が著しく向上したのでした。

今年になって再開したSNS上のコミュニケーションは、もはや私にとって欠かせないものでありますが、それでも顔の見えるコミュニケーションの安心感に勝るもにはないということに、改めて気付いたのでした。


過去の「B to C」の仕事において、所謂「クレーマー」の方と直接対峙する場面が何度かありましたが、当事者と面前でのやり取りをする時には、それまでの電話とメールでのやり取りで感じていたストレスや恐怖感を感じませんでした。むしろクレーマーの方と面着すると、建設的なやり取りを行うことができ、以降はより良い関係を築けることの方が多かったです。

反対に今年になって個人的にSNSを再開してから、デジタル上の顔の見えない言葉の鋭利さと恐怖を改めて感じましたし、敗戦後の本日に至っては、今月クラブから声明があったにもかかわらず、「かけて欲しくない言葉」目にしてしまい続けているであろう選手とクラブに想いを馳せずにはいられませんでした。どんなに辛い思いをしているのだろうかと…。そういった言葉は、本当にストレスフルですし、本当に怖いのですから…。

いくら相手のことを思っての意見や批評であっても(誹謗中傷はもっての外)、匿名から発せられる言葉を冷静に受け止めることは難しいものです。これは受けたことがある人にしか、分からない状況なのだと思います。

誹謗中傷をした発信者が、開示請求されてから発する「そういった意味で発したわけではない」「そういったつもりはなかった」という言葉が、正にその受け手側と発信側のギャップを表していると思います。

辛い時、脊髄反射的な言葉をSNSへ投げかけたところで、その発信者自身の溜飲は下がっても、メタ的にプラスの状況が生まれることは決してないと私は考えます。生まれるのは議論にも値しない「プアな言葉の応酬」と、受け手にとって決して消えることのない「心の傷」だけであると思います。

顔の見えない、関係性のない人から発せられた言葉を咀嚼し受け止めることが出来るのは、よほど神様のような存在ではない限り難しいのではないでしょうか。


敗戦後、私たちサポーターにできることは、如何にその状況に折り合いをつけ、同じ辛い思いを味わっている選手とクラブへ寄り添えるか、そして次なる一歩を踏み出せるか、だと思います。

このnoteは、昨日の試合後に下記投稿をしてから、

一日経ち、「無分別に擁護して」や「無批判に応援して何になるのか」といったような反応を貰っていたことを知った際に感じたことです。

私は、『赤鯱新報』や『エルゴラ+』、『グラぽ.net』やグラサポの有識者の皆さんによる建設的な批評を書けるような知識とスキルを有しておりません。であるならば、選手やクラブのために1ミリも役に立たない自己発散ではなく(重ねて、心で思うことは侵害できるものでは決してないのは承知でして、発信するかしないか、もしくはその場所が重要であるということを表明させてください)、「ヌルい」「聖人ぶって」と言われようとも、このメンバーで闘える残り16試合において、選手とクラブのために1ミリでも貢献できるような言葉を発していきたいなと、改めて感じた次第です。

まだまだ名古屋の夏は終わっていません。

名古屋グランパス 公式サイト

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