昨日の悲しい出来事について、私が感じたこと。
2024年6月2日に行われた明治安田生命J1リーグ 第17節「川崎フロンターレ戦」(A)。試合終了後に選手がゴール裏へ挨拶をした際に、一部のサポーターから選手へ心無い言葉が発せられるという悲しい出来事が起きました。
ピッチにいる選手たちが試合終盤で疲れていても、私たちの声と拍手によって1ミリでも脚を伸ばすことができるんだ。私はサポーターに、そのような凄い力があると信じていました。
悔しいだろうし、苦しいに決まっているし、試合結果を淡々と受け入れることなんてできるはずはないだろうし、穴があったら入りたいだろうし。それでも矢印を自分へと向けて、自らを情けないと責めながらも、そういった想いを押し殺し、クラブを愛する仲間の下へ足を運ぶ。先ずは何より、90分間声と拍手で自分たちを後押ししてくれたサポーターへお礼を伝えるために。
そうして対面したゴール裏の何百人もの仲間のうちの二人から、指を刺され、大声で叱責をされる選手たちに、一度思いを馳せてみてください。
難しければ、誰かのためを思いとった行動が結果的に上手く行かなかった場合に、その対象者からその行動を咎められるような場面を想像してみてください。しかも自分の言い分を発する機会は無いままに。
そのような経験をされたことは、この文章を読んでくださっている方にも一度や二度あるのではないでしょうか。
そのような時に私は、自分の存在が無くなればいいのにと、事象に向き合わないまま逃げたくなります。
私は一人の名古屋グランパスのサポーターに過ぎませんが、愛する名古屋グランパスのためには1ミリでも悪い影響を与えるようなことはしたくないし、反対に1ミリでも力になりたいと考えています。
ですので、昨日「Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu」で起こった出来事に対する私の見解を、こちらに書きたいと思います。
そんなことは自己満足に過ぎず、クラブの力になることは無い、そう仰る方もいると思います。しかし、そのような取るに足らない私の見解でも、読んでいただいた方へ、昨日の出来事(事象)に対する「解釈」の一つを提示することはできると思います。そして、読んでいただいた方の「意見」に、1ミリでも影響を与えられるのではと思います。
もちろん、読んでくださる方の「意見」へ、少しでも “良い” 影響になれたら、と願います。
しかし、私の見解に触れることで、反対の意見を持たれる方も出てくるでしょうし、不快な気持ちになる方も出てくるかと思いますが、それでも、その方が持つ「意見」の、「補強」や「ブラッシュアップ」に繋がるのであれば、それは決して “悪い” 影響ではないと考えます。
そのような文章を書ければと思います。
試合が終わってから約1時間後の20:00過ぎに武蔵小杉駅近くのスタバに入店、閉店時間の22時にはアップできればとこの文章を書き始めたのですが、書き終えたのは27:00でした。
書き終えてもなお、昨夜の出来事に受けたショックは減ることなく、早くこの文章をぶち撒けて、気持ちを少しでもスッキリさせたいと思いました。そして、私と同じように、深夜になっても眠れないままモヤモヤしている方がいらっしゃるのであれば、その方のお役に立てればという気持ちもありました。
ただ、深夜の思考は、えてして歪んだ、いびつなものであることが多いです。ですので一晩寝かすことにしました。そうして一夜明け、昨夜の思考が滲み出たこの文章を読み直し、書き直しているのが今です。
当日中の振り返りに役立ち、今日という日(6月3日)を1ミリでも良い状態で迎えていただく一助になるのがベストでしたが、それでもこの文章を読んでいただいた方が、本日から始まる新しい週を1ミリでも良い状態で迎えることができるのでしたら、望外の喜びです。
そう信じて文章を書きましたので、よろしければ昨日の出来事に対する一つの「解釈」に、お付き合いをいただけますと幸いです。
出来事の経緯
※こちらの章は、次の画像の位置(ゴール裏1階最後列の手摺り)から私が見た昨日の出来事の記憶と、現地の方がその出来事(事象)を撮影された複数の動画、及びDAZN映像の内容を組み合わせた文章になります。
なお、「経緯」と表した文章には似つかわしくなく、その端々に私の所感が随所に滲み出てしまっております。ファクトとして事象を掴みたい方は、DAZNやXにて動画を検索してご覧ください。
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黄色の丸が、コールリーダーのShingoさん
試合終了後、選手たちがゴール裏に向かって一列に並んだ際に、下記の青色部分で応援していたサポーター2人が、座席とピッチの境目に立ち(両隣のサポーターと比べ、明らかに高い位置にいました)、選手へ何か声を掛けました。
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※写真は試合前のもの。
※映像を見ての補足
確かに2人でした。
その声は、最後列後ろのコンコースで立ち見をしていた私の場所まで言葉として届きませんでしたが、微かに聞こえる叫び声と共に、選手に対する執拗としか表現できない身振り手振りから、ポジティブな言葉でないことはすぐ分かりました。その時私は、侮辱罪にあたる行動ではないかと感じました。
Q2 侮辱罪とは、どのような罪ですか。
A2 侮辱罪は、事実を摘示せずに、「公然と人を侮辱した」ことが要件になっています。具体的には、事実を摘示せずに、不特定又は多数の人が認識できる状態で、他人に対する軽蔑の表示を行うと、侮辱罪の要件に当たることになります。
その際、コールリーダーのShingoさんがその2人に対し手で制するような動きをしましたが、その2人の言動は止まることなく、選手のそばにいたクラブの運営スタッフが2人に近付いたタイミングで、ようやくその境目に立っていた2人は周囲にいた方々によって座席側に引き摺り下されました。
※映像を見ての補足
2人の言動に対し森島司選手が両腕を左右に広げて抗議の意を表し、その様子を見かねた永井謙佑選手がゴール裏中央へ向かうのが確認できました。同時に、稲垣祥選手も続きましたが、その映像においては、両選手共に画面からフェードアウトしてしまいました。なおもゴール裏へ近付こうとする森島選手を野上結貴選手が後ろから制し、ゴール裏から遠ざけていました。
私の位置からは、永井謙佑選手がShingoさんへ物申すような表情で話しかけているのが見えました。同時に米本拓司選手が当該2人がいた方向へ何か言うのも見えました。
※映像を見ての補足
ゴール裏へ言葉を発する米本選手を、ハ チャンレ選手と稲垣選手がゴール裏から遠ざけようとしていました。
その様子を見かねたキャプテンのランゲラック選手も間に入りましたが、米本選手の激昂は収まらず、他選手たちが米本選手を囲むようにして、ゴール裏から遠ざけようとしました。
森島司選手が再度ゴール裏に近付き、サポーターに向けて、見たことのない表情で言葉を発していました。「俺?俺?」という森島選手の声が、コンコースまで聞こえてきました。
※映像を見ての補足
森島選手の後方で、なおも米本選手が言葉を発しますが、椎橋慧也選手と武田洋平選手に促され、ゴール裏から遠ざけさせられました。森島選手もクラブスタッフの西村弘司さんによって促され、メインスタンドの方へ向かいました。
その間、Shingoさんとランゲラック選手、永井選手、稲垣選手とのやり取りは続いていたようで、永井選手が強い調子で言葉を発していましたが、稲垣選手に促され、他選手が向かったメインスタンドの方向へようやく踵を返しました。
そして、メインスタンドへと整列し挨拶する選手へ、ゴール裏から惜しみのない拍手が起こりました。
選手がロッカールームへ退いた後、Shingoさんからゴール裏のサポーターへ、今後へ向けての言葉がありました。それを聞き終わった後、私はコンコースを後にしました。この状況下では、川崎フロンターレのクラブスタッフの方が、丸山祐市選手へ挨拶の機会を許可するわけがないと思ったからです。
以上が、現場で見た記憶と、後で確認をした映像の内容を組み合わせた、出来事の一部始終です。
なお、私は事象に対し、やり過ごしたり傍観することは「加担する」ことと同義だと考えています。下記は別の事象に触れた際に私がXに投稿したものですが、その思いは昨日も変わりはありませんでした。
結局は現場じゃないと分からないことがあるのだろうし、外部がガヤガヤ言っても致し方ないのかもしれないけれど、「やり過ごす」ことは、現況へ「加担している」ことと同義。
— Satoshi Endo (@endo3104) May 31, 2024
現況は憂うべきものであるし、そんな現況には加担したくないので、ガヤガヤ言葉にして行きたい。
なので私は、昨日の出来事の間、拍手をし、選手へ言葉を発し、周囲の方に「拍手しましょう」と声を掛けました。もちろんコンコースからの私の声が選手たちへ届くわけはなく、声が小さ過ぎて、ただの落ち着きのない人間が右往左往して狼狽しているだけに、周囲の方々からは見えたかもしれません。それでも私は一連の出来事がショック過ぎて、そうするしかありませんでした。
思い出した5年前の出来事
その出来事に遭遇し、否応なしに5年前の瑞穂での試合の記憶が蘇りました。
2019年10月19日、明治安田生命J1リーグ 第29節「名古屋グランパス vs ベガルタ仙台」。パロマ瑞穂スタジアムで行われたその試合後、昨日と同じように、米本拓司選手とゴール裏のサポーターとの間で、言葉の応酬があったのでした。
2019シーズンの9月、26節を終え11位に位置していた名古屋グランパスは、インターナショナルマッチウィークを迎えたタイミングで風間八宏監督との契約を解除、新監督としてマッシモ フィッカデンティ氏を招き入れました。
しかし、マッシモ監督の初陣となったアウェイ サンフレッチェ広島戦はドロー、続くホーム 大分トリニータ戦もドローと、最初の2試合で順位を13位まで落とし、迎えた前述の第29節ホーム仙台戦の結果は「0-2」と敗戦。新監督を迎えながらも、3試合連続で勝利を掴むことができないまま、順位を降格圏まであと2つに迫る14位まで下げてしまいました。
その試合後、ゴール裏のサポーターから選手たちへ届いた声に、堪らず米本拓司選手が言葉を返したのでした。私はその事象をクラブスタッフとしてそばで眺めていましたが、申し訳なさと同時に、やるせなさしか感じることができませんでした。優れた広報であれば何かできたのかもしれませんが、一介の広報に過ぎなかった私は、ただただ目の前の事象を眺めることしかできませんでした。
その試合後の取材にて、米本選手はゴール裏での事象について語りました。
―試合後にはサポーターと選手の話し合う場面がありました。米本選手が伝えたかったことは?
監督が代わったことで、もしかしたらサポーターの方から、今までのサッカーと違って「闘っていない」と言われてしまうかもしれません。だけど、僕らもやっていないわけではないです。監督のやろうとしていることを、練習の中で理解しようとしています。試合に出ているメンバーも出ていないメンバーも必死にやっています。そういう時に「闘っていない」と言われると、僕たちも悲しいです。あと泣いても笑っても5試合しかないわけなので、あそこで言い争っていてもなんの意味もありません。もう一度選手、スタッフ、サポーターがチーム一丸にならないといけません。「闘っていない」ということは絶対にないと、この場で言いたいです。それをたまたま僕が言っただけで、絶対にみんながそう思っているはずです。だけど、勝てていない。本当になかなか勝てていないことは、サポーターに対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。そういう中でも監督のやろうとしていることを、みんなが一生懸命に理解しようとしています。練習時間が今までより長くなっていますけど、みんな真面目に聞いて、一生懸命取り組んでいます。そこは理解してほしいと思います。
今年から私はクラブスタッフからサポーターになり、クラブへかける想いは、クラブの人間もサポーターも何ら変わりはないのだと、知ることができました。
しかし、サポーターになって同時に感じるのは、選手やクラブ関係者は、家族をはじめとした様々なことを犠牲にして、全てをかけて、日々勝利のために闘っているのだなということ。このことに関しては、サポーターになった私にはもう無いものなのだと、今年になって感じています。
瑞穂での出来事のあった翌30節のアウェイ 北海道コンサドーレ札幌戦は、「0-3」の敗戦でした。米本選手は先発出場、「0-2」の状態で交代する84分までピッチで闘い続けました。しかし、マッシモ監督就任からの未勝利は4試合に伸びてしまいました。
前節の試合後にサポーターが発した「闘っていない」という言葉に、果たして意義はあったのでしょうか。今となっても、疑問です。
ただ、この第30節は下位の他チームももたつき、かろうじて順位は14位を保持しました。
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当時は仙台戦後の事象を糧としようと自分ごととして背負い込みましたが、今振り返ると「あの時は認知が歪んでいた」としか思えません。
そして、私どころか「クラブにとって、良い影響は1ミリも無かった」のだと、今となっては感じます。
選手たちへ、特に永井謙佑選手、米本拓司選手、森島司選手へ伝えたいこと
昨日の映像を見返し、あの場にいた選手とクラブ関係者がどんなに辛かったか、そして心を痛めたのか、そればかりを考えてしまいます。
なので先ず、この出来事で私が一番傷ついてしまったと考える選手たち、その中でも永井謙佑選手、米本拓司選手、森島司選手へ伝えたいことをこの章で書きたいと思います。届くことを信じて。
選手たちには何より、昨日の試合後に見聞きした事象と言葉が、名古屋グランパスのファン・サポーターの意見でも、ましてや総意でもないことを知って欲しいです。
ここで私の一つの体験を、エピソードとして書かせていただきます。
パンデミックで世の中が混乱していた2020年7月、テレビのあるワイドショーにおいて、名古屋グランパスの当時のコロナの罹患状況が全国ネットで報じられました。
4ヶ月に渡る中断を経て、Jリーグが再開して2ヶ月目に差し掛かろうとしたタイミングでのクラブからのリリースに、テレビ局から取材があったのでした。
クラブの公式SNSアカウント運営を預かっていた私は、放送後にそのアカウントへ全国から投げつけられた罵詈雑言の嵐を、決して忘れることができません。その時は、日本国民の全員が、私の所属するプロサッカークラブに憎悪の念を抱いているのだと感じました。詳しくは書けませんが、そのワイドショーのスタッフの方からの電話の内容も、忘れることができないものでした。
当時は私もPCR検査の対象者でしたので、もし自分が罹患したらと、怖くて仕方のない日々を送っていました。自動車免許を持っていない私は、クラブハウスへ向かう電車では、誰も乗っていない車輌を選んで息を殺して乗車する、そんな毎日でした。
しかし、今となってはこう思えるのです。ワイドショーを国民全員が見ることは決して無いし、SNSアカウントに届く罵詈雑言も、人口で言えば1%にも満たないだろうなと。(※もちろん、あの状況下において、日本中へ不安を招いてしまうようなリリースを行なったことに、責任を感じています。)
昨日私が見た選手たちへ言葉を発していた人間は2人でしたが、他にもいたのかもしれません。しかしそれでも、片手で収まる数の人間による意見です。それも、選手たちのプレーや試合内容を「解釈」や「咀嚼」することなく、ましてやその選手を「思いやる」こともなく、「脊髄反射」に発せられた、身勝手な無責任な言葉に過ぎません。
正に “ 断片的な〈事実〉から〈意見〉へ飛躍 ”(※)させた、取るに足らないものです。
※『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也 田野大輔 著)より
そのような限られた言葉から何かを汲み取ろうとする必要は、選手たちには1ミリもないと思います。同じようなことはこれまでのプロサッカー選手生活で何度も感じてこられたでしょうし、それが昨日一つ増えたからと言って、そこから新たに教訓を得られるようなことは無いと思うのです。所詮これまで見聞きしてきた罵詈雑言と、何ら変わりはないのではないでしょうか。
そういった罵詈雑言を発した彼らは「ノイジーマイノリティ」であり、彼らの意見は「悪貨は良貨を駆逐する」ようなものです。
そのような「意見」に「脊髄反射」しては、選手たちも同じ穴の狢になってしまいます。1ミリも役立たないそのような昨日の言葉は、頭から消し去っていただきたいです。
私は生活において、特に仕事において、些細な事象や言葉に苛まれ、眠れなくなることがよくあります。しかしそういった際は、その事象と言葉に対する「解釈」が正しくない場合が多いので、その「認知の歪み」を取り除くように意識しています。前述の仙台戦やパンデミック禍の時のように。
選手たちにおかれましては、昨日の事象と言葉に心を傷めるのではなく、あの場において視界に入ることのなかった(入れることができなかった)と思われる「サイレントマジョリティ」の存在に、思いを馳せていただきたく思います。そして、あの場に居なかった多くのファン・サポーターの存在にも。
そして、永井謙佑選手へ。
サポーターは、団体でも組織でもありません。名古屋グランパスを愛する者が、自発的にスタジアムに集っているに過ぎません。誰一人として権限等を保有している者は存在せず、普段は分散している各個人が自律して、クラブを応援しているだけです。そのような存在の私たちが、選手たちより偉いだなんて、思うはずがありますでしょうか。
そして、サポーター間においては、交友関係こそあれ、上下関係や責任の所在があるわけでもありません。
しかし、その中のサポーターの誰かが失敗(昨日のような悪事を含む)をしてしまった場合(起こってしまった場合)は、その当該者以外のサポーターもが、自分ごととして受け取り、悲しい思いをするのです。私たちは、そのような生き物なのです。
コールリーダーやソシオプロジェクトのように、サポーターの立場を代表する方はいますが、その方々が、サポーターの責任を担っているわけではありません。
私たちサポーターに思うことがあれば、全サポーターへ向けて、言葉を発して欲しいなと思います。
もちろん、謙佑選手が全てを背負う必要はありませんし、言葉として発する必要もありません。しかし、誰かに責任を求めることだけは、しないでいただきたいなと思います。
昨日のような悲しい事象は、謙佑選手を始めとした選手たちだけでなく、クラブ関係者だけでもなく、私たちファン・サポーターも含めた名古屋グランパスに関わる全員で、自分ごととして、分散的に受け止めるべきだと思うのです。
罵詈雑言への私の見解 - 罵詈雑言は1ミリも役には立たない
昨日、選手たちへ向けられた言葉の詳細は今となっても分かりませんが、選手たちが悲しい思いをしてしまったのであれば、その言葉を「罵詈雑言」と呼んでも差し支えないと思います。
私はクラブを辞める際に書いた「退職エントリ」において、「罵詈雑言」を「愛という憎悪」と定義しました。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの『スモーキン・ビリー』の歌詞から拝借した表現でした。
そして、今年の3月に、Xにおいて下記のようなポストをしました。
吐き出してしまいます🙏
— Satoshi Endo (@endo3104) March 9, 2024
クラブスタッフ時代、届く全ての言葉に目を通してましたが、暴言は何の役に立ちませんでした。仕事でなければ見たくもありませんでした
意見をくれた方へ、そのままお戻ししたかったです。あなたもその道のプロなのだから、暴言が許されるような世界では大丈夫なんでしょ、と
今もなお、この時の気持ちに変わりはありません。
人の失敗に、罵詈雑言や暴言を投げつける人へ。
あなたが何かを失敗してしまった場合、家族や友人や、同級生や先生や、同僚や取引先や、少し顔を知っている人や面識もない人や、そういったあなた以外の他人から、脊髄反射的な心無い言葉を向けられたら、あなたはどう感じますか?
次からがんばろうと思いますか?
その罵詈雑言を投げかけた人に思いを馳せて、新たに行動しようとしますか?
その失敗を挽回できる機会が訪れた時に、前回を上回るパフォーマンスを発揮できると思いますか?
私は、罵詈雑言や暴言は、1ミリも役に立たないと考えます。
“人は、否定されたり批判されると、脳が萎縮し身体が強張る。脳が炎症し心が傷を負った状態で、最高のパフォーマンスを発揮できる人などいようものか。「追い込んでやる気を出させる」だなんて、そんな無茶な理屈を一体いつまで信じるのだろう?”
最後に
言葉は、発する側は忘れがちで、言われた側は忘れることができないものだと、日々生活をしていて痛感します。
私自身がもう覚えておらず、記憶から抹殺してしまったような私が誰かに発してしまった言葉によって、この瞬間もなお悲しんでいる人がいると思うと、途端に不安が全身を襲ってきます。シャツの袖やパンツの裾からなんとも言えないザワザワが、ヒルのように蔦ってくるように感じます。
そんな自分を棚に上げて、 辛い状況にある選手やクラブスタッフへ容赦ない言葉を発することができる人間にも、そのような感覚になって欲しいと思います。なればいいのに、と。
その痛覚を持ってして、今後はもう二度と、選手やクラブスタッフを悲しませるような言動をしない、と感じて欲しいと思います。
そしてまた、私たちの愛するクラブをサポートして欲しいなと思います。その後押しやその言葉は、必ずやクラブのためになるはずなので。
私が人生で一番辛かった前述のパンデミック禍において、ファン・サポーターの皆さんから頂いたチカラのように。
#がんばれグランパス、とても元気を頂きました。有難うございました。
— 名古屋グランパス / Nagoya Grampus (@nge_official) June 9, 2020
医療従事者、エッセンシャルワーカーの方々に改めて感謝の意を表しますと共に、更なる新型コロナウイルス感染拡大防止に努め、#Jリーグ再開 へ取り組んでまいります。
P.S.ファミリーの皆さんは“#grampus の誇り”です。#小西工己 pic.twitter.com/rh5re9Cyh4
この拙文が、お読みくださった方にとりまして、1ミリでも気付きのきっかけになれば嬉しいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
※ご意見がございましたら、コメント欄にお願いします。常識より逸脱がなければ、ぜひやり取りさせていただけると嬉しいです。私の考えをブラッシュアップいたしたく。