PCT砂漠編
前回の記事の通り、バスを8時間待ち、無事にトレイルヘッドについて砂漠編がスタートした。
砂漠編序章
前日は夜に着いたので、砂漠は平らで寝やすくて最高だ〜と思ったのも束の間。
朝の10時を過ぎると太陽が上がってきてジリジリとした暑さが夕方まで続く。
私は非常にびっくりした。森の中のトレイルと暑さがレベチだった。
私たちはビッグベアレイクより少し下のトレイルヘッドから歩き始めた。
目の前にある、小高い山にどうやらいまから入っていくらしい。
街からトレイルに入るときは決まって登り基調なのでわたしは苦手だ。
暑さと目の前の斜面をみてクラクラしたと思ったが、クラクラしたのは前日の猛暑のなか、何時間もバスを待っていたので、2人して少し熱中症になっていた。とりあえず次の水場まで目指して歩くもわたしの足は思うように動かずカメのようにノロノロと砂漠を歩いた。
写真を見返すと天気も良くて綺麗だなと今は思えるが、歩いてた時は暑くて景色は綺麗と思っていなかったし、冷たい水が飲みたいしか頭になかった。
ちなみに砂漠セクションに入ると、水場が少ないので綺麗な水を汲めるところが少ないとバディから聞いていた。
それに水場の数自体も少ないので今まで5mile先くらいで補給できていたのが10mile先になることもあった。
あまりにも水がないところだとトレイルエンジェルらが、タンクに入った水を置いておいてくれる "ウォーターキャッシュ" というものがあるのでこまめにマップアプリの最新のコメントで状況をチェックすることが必要だった。
とりあえず砂漠の初日は15mileくらい歩ければ良いと思っていたのだけど、あまりの暑さと移動での疲れで10mileくらいしか歩けなかった。笑
休憩するにも影がないので大きな岩からできる小さい影に必死に身を隠して休憩していた。
二枚目の写真がその日、二つ目の水場だったのだが、川というなんとかぎりぎり流れてる水があり、500ml汲むのに4-5分かかった...。
でもその間にハチドリを見れました。
このあと数マイルほど歩いて初日はカウボーイキャンプをして寝た気がする。
「ほんとに砂漠好きじゃない」とかバディに文句言いながら寝た記憶あり。
翌日もまた同じ日々が始まると思いながら(極端にネガティブ笑) 無になりながら歩いていたら、山の中にどんどん入っていき少しずつ木々がでてきた。
標高も上がってきて街を見下ろせるくらいになりやっとテンションが上がってきた。
ここにきてようやくPCTらしいPCTマークもみれた。
本当に文句ばかり垂れて申し訳ないが標高が高くなり、木々があるということは?
水がある=蚊がでてくる
砂漠にきても蚊はいたのだ。せっかく山のなかにようやく入って日陰で朝ごはんの時間を過ごしているのに彼らも必死に我々の血を吸おうとしてくる...。
まじで北カリフォルニアで拾ったバグネットあって良かったと思った。そしてあのうざいモスキー音はイヤホンをノイズキャンセリングしても聞こえてくるのでノイローゼになりそうでした。
この辺りでひとりのスルーハイカーと会った。彼は雪でこのセクションを飛ばして戻ってきたのだ。そして次の街で彼のハイキングは終わりらしい。5ヶ月間歩き続けたハイカーの雰囲気はやはり猛者感があるうえに、清々しい表情をして歩いていた。それなのに対してわたしは、暑くても寒くても文句ばかり垂れていたので、彼を見てハイカーとしてまだまだだなと思った。
久しぶりにしっかりと水が流れている川に出会ったのでここで休憩をした。
砂漠に入ってから淹れることが出来なかったコーヒーを久しぶりに淹れた。
私はもともとバリスタという仕事をずっとしていたので毎日コーヒーは欠かさずに飲むのだけれど、さすがに砂漠となるとコーヒーが飲みたい気持ちはかなり薄くなった....。
やはりコーヒーを美味しく飲むには、
自分の心と水に余裕がないと楽しめない。
久しぶりに水がたんまりあるところで飲むコーヒーは美味しかった。
その日は木々に囲まれた広いテント場を見つけたので久しぶりにテントを張って寝た。
翌日はあと10何マイルか歩けば砂漠セクションで初の街に着くので、朝7時くらい歩き始めて、ブランチを狙って街に向かって歩いた。
膝、骨折事件
もう街までのサインが見え始め、レストランはもうすぐだ!とわたしは心躍っていた。山を下って街にいくには、道路脇の舗装路を歩かないといけなかった。バディが先頭を歩いていた、割と交通量が多く、大きなトラックなども脇を走っていた。
その為、わたしはもう少し舗装路の内側を歩こうとコンクリートの段差を登ったときに、
そのコンクリートがまさかの崩れてバランスを崩し、わたしは左膝に全体重をかけるようにして地面に転んだ。
わたしの体重+8キロほどのザックが左膝にかかったのでめちゃくちゃ痛かった。
痛いというか、あ、これやったな。と思った。
じわじわ涙がでてきたが、痛すぎて笑っていたわたし。なのでバディも大したことないと思い先を歩き始めた。笑
あとに追いつこうと思ったのだが痛すぎて立てなかったので様子がおかしいと気づいたバディが戻ってきて荷物を持って広い場所に避難した。
「ちょっと痛すぎて歩けない....。」
と私は言った時に初めのうちはバディに深刻さが伝わっておらず、え〜大丈夫?とバディは呑気に空を見上げていた。
言わずもがなここで最初で最後の喧嘩をした。
絆創膏の一枚出してくれたっていいじゃんと私は怒り泣いた。笑
なんとか我慢してゼロデイを取る予定のキャンプ場まで歩いたが喧嘩してたので、じゃあ別行動しようとなったが、その時わたしは、
「あ、わたしはここに置いてきぼりにされるんだな」
と思ったり、膝のお皿が割れてると思うほど痛かったので、
「ここから1人で日本に帰るのかな。」
と考えていたら、それもまた悲しくて実はひとりでキャンプ場の入り口で泣いていた。笑
結局30分後くらいにコーラ買って戻ってきてくれたので仲直りした。笑
転んでから膝がパキパキ鳴るので、これもう膝のお皿割れてますやん..。って絶望感を抱きながら日本の医療系の友達に症状を伝え、いかがなものかと問うたら、
「たぶんめっっちゃひどい打撲やで。」
とのことだった。え?本当?絶対割れてると思うんだけど!と謎の反発をしたけど、割れてた歩けないと言われたので、とりあえず教えてもらった通りにアイシングと包帯で圧迫をした。
膝がやばいくらい腫れていたが打撲でよかった。
この時からトレッキングポールないと歩けない状態だったので街の中もトレッキングポールを使って歩いてすごい恥ずかしかった...。
店に入るたびにPCTで怪我したけど最後の力を振り絞ってメキシコボーダーまで歩く猛者のように思われ、おじさんたちにはよく激烈の言葉をかけてもらった。笑
膝がいつ治るかも分からない上に、帰国日は決まっていたのでほんとにメキシコボーダーまでいけるのか不安に包まれながらこのIdyllwildという街でゼロデイを過ごすことになったのだ...。
砂漠にきてまだ4日というのに早々に濃厚な日々を送っていた。
つづく
Happy trails!