ワンピース的死に方

鬱あるあるなのかどうかわかんないんだけど、鬱になって自分的に面白かったことが、怖い話とかホラーとかが怖く無くなること。

エンタメに関わる仕事をしていたので、ホラーとか人怖とかってその範疇に入るから、実際扱ったことはないけど、参考として見ないといけないとかあるんだけど、まー俺がビビリなのでw その手のものは思いっきり避けてたし、見ちゃったら最後寝るのも怖いし、風呂に入ってもシャンプーできないくらいだったんだけど。。。

鬱になって、自殺の方法とか検索するようになって、その流れで見てたのがYoutubeの怪談話とかのチャンネル。。。なんでそうなったのかは、無意識だったからわかんないんだけど、とにかく怖いという感じ方よりも、同情というか他人ごとじゃないというか、悲しい気持ちの方が大きい感じ?

おそらく、そう感じるのは自分も死ぬことを考えてたから、死んだら事故物件の原因とかになるということがわかってて、そうなると大家から両親が訴えられてまあまあの金をむしり取られる可能性がある、ということをのちに知って絶対借りてる物件で死ぬのはよそっ、と思ったわけなんだけど。。。

で、なんか知らんけど、ひとしきりその手の怖い話見た後にYoutubeで街録チャンネルを見始めて、なんかとんでもない生い立ちとか、第二の人生とか色々語ってる(ヤバめな?)人たちを見て、

「第二の人生ってなんやねん?!」

という気持ちに至ったは至ったんだけど、その中で事故物件に住みまくってる人が出てきて、その人が最後にこんなようなことを言ってた。

「人は死に方が大事。その人も生きてる時は家族も知り合いもいて、きっと良い家族だったり、良き友人だったりしたはずなのに、ちょっと死に方が孤独死だったり、自殺だったりしただけで、その後ずっとへんな形で認知され続ける。」

まー、と言った趣旨だと俺が感じたことを言ってたような気がして(曖昧w)、でも、すごく共感した。

これって、「生きてるだけで素晴らしい」論があんまり俺には響かないことと通底しているところがあって。。。

人はいつか死ぬし、その死に向かって生きているのに、生きていることの方が死むことより素晴らしい、って明らかに矛盾がある。なぜなら、死に方間違うと行き方が否定されるというか、それ以前に生きている時間よりももしかしたら長く、こっちから否定することのできない社会的評価に甘んじないといけない。。。かもしれない。しらんけどw

そう考えると、逆に自殺とかなるべく避けたいなぁ、と思う。別にやりたいことできないんなら、どのみちいつか死ぬんだし、今死んでも将来死んでも一緒じゃね?と思っている一方で、結局色々考えると年取って病院とかで死ぬしか自分に対する社会的評価を維持して死に至ることってほぼ無理なんじゃないかな、と思っていて、そういう意味で生き方以上に死に方をより重要視して考えるなら、少なくとも老衰なり病気による死以外は選ばない方がいい、という結論に至らざるを得ない。

「人が死ぬのはいつだと思う。。。(中略)。。。人に忘れられた時さ」

ってワンピースにあるけど、忘れられるくらいならまだマシで、まったくそんな気ないのになんか怨霊まがいのなにかみたいに見ず知らずのわけわかんない後世の人に思われることの方がよっぽど不本意、というか、

「ちげーし!お前らなんか知らねーし!」

って話だと思う。少なくとも俺はそう思うと思うw

ま、もちろん、自分の名前を良い形で後世に残せたら、それはそれで名誉なことではあるんだろうけど、そんな人一握りなはずだし、自分がそうなれるとも思わないから、自分が納得して、

「まったく!いい人生だった!!」

っていえて死ねて、後々誰も覚えてない、みたいな方が次善。。。というか、未婚者のおおい現代の多くの人はこれを目指すべき、というか、しかないんじゃないかな〜。

そう考えると、「今がピーク!」と思えた時に死ねるのが結局は一番幸せなんだけどね。。。

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