#モラトリアム戦艦桃 ネタバレ感想・雑記

フレンドが出るというのでふらっと観に行ったらすごい劇でした。



「モラトリアム戦艦」と名前が示す通り、責任を、決断を後回し後回しにするためにダメだと解っていてもバーチャルに逃げていく。後半はそんなお話。まさにモラトリアムな自分は見ていて心が痛かったです笑

決断から逃げ続けるダメ人間な船員三人の目を覚まそうとする青髪の密航者は人魚が生み出した幻想。しかしその人魚も桃源郷システムの中ではなりたい自分(姉妹に囲まれ、足を生やして自由に動き回る自分)に酔いしれている。

桃源郷の中の人魚が、他の三人の桃源郷での分身のように都合の良い理想の世界の自分だとしたら、密航者は人魚に残った焦燥感の表れなのでしょう。(おそらく)ここまでの旅路も桃源郷漬けな三人とは違い、外の世界に連れ出されて初めて桃源郷を体験した人魚には「これは私達をダメにする」と解ったのでしょうか。桃源郷(仮想)に戻りたいという本能と現実ですることがあるだろうという理性の衝突、見ていて自分に刺さりまくった…🪦

そんな人魚も現実世界では足から腐り始め、最後には呂律が回らなくなっていく。現実とも仮想とも明言されない最後のシーン、自由に泳ぎ船員を誘う人魚の歌声を聴く人間たちの中に、青髪の密航者の姿はなかった。
多分、そういうことなんだろうなと思いました。


この劇が、VRChatでの公演のために書き下ろされたわけではなくて元々現実で上演された劇だというから驚きです。
劇中の、無計画で、ろくでなしで、意志の弱い船員たちの姿、個人的にはとても自戒的というか自虐的なものを感じました。

モラ桃が現実で上演された時は、もしかしたら船員たちは学生でもなく定職にもつかず、西東京の小劇場で劇団員というモラトリアムを続けている役者たちのメタファーだったのかもしれない。そんな彼らにとっては演劇こそが桃源郷だったのでしょう。

しかしそれから10年?20年?の時を経て今回の公演の舞台となったVRChatという箱は、現実を忘れてなりたい姿の自分になれる、まさに作中の桃源郷そっくりな空間。そこには(わたしの様に)現実での責任から逃げるように毎日のようにinしている人も少なくないでしょう。(そんなことない?💦)

そんな人にとっては作中の船長や操舵手に荷物番、それに人魚の最後の選択は見ていて身につまされる想いでしょう。そして10年20年前にモラ桃が荻窪で上演されていた際も、わたしのようにこの演劇が「刺さった」人は少なくなかったのではないか、と勝手に想像しています。


こんなに突拍子も無い(いい意味で!)物語なのに、ある意味普遍的というか、時代に囚われないというか、むしろ時代が追いついたというか、まさにここVRChatで上演するのにピッタリな劇だと
そう思いました🍑

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