ラウフェンモスルモンさんにドラクエしてないことを責められた日
昨日は一日じゅう人の家にいた。
8時すぎに家主を見送った。
前日ひくほど泣きながらお喋りしたことをもとに、来年再来年の予定を紙に書き出した。
3時間くらいぼーっとしながらうんうん考えて、さけるチーズを食べた。
ドイツにはふざけたキャラクタのいる紫色したパッケージのさけるチーズがある。
あっこれならやれるかもしれないがんばれるかもしれない、ダメでもこれがあるし、こうすればいいかもしれない、というのがなんとなく見えた。
人生が見えてきた!という気持ちになった。
やっと入り口が見つかったけどまだ入場できたわけではない。
ビザどうしようかいろいろ調べて、メールで問い合わせして(ドイツ語!)、返信して(ドイツ語!)、かかってきた電話に対応した(ドイツ語!)。
父親に連絡をした。
日本にいたころなら会議中であれなんであれ2分で返信があったのに、最近は日をまたいで返されるようになった。
メンヘラ彼女であればげきおこぷんぷんまるである。古い。
わたしはちゃんとした人間なのでオーバードーズも鬼電もしなかった。ちゃんとしている。
仕事の仲間にも連絡して、たぶんこんな感じであんな感じになるーと報告した。
言いにくいことをすぐに言えてえらい。
前日に中華料理屋からテイクアウトしてもらったビーフンを器によそい、サラダものっけてチンした。
野菜は食べなくても生きていけると信じてるけど、適度に食べると身体がすっきりする気もする。
一昨年くらいまではただの偏食だったが、健康に生きようとしていて驚く。
入院中は病院食が嫌いすぎて
「こんなの食べたら健康になってしまう」
とエルメのアイスやリンツのマカロンを買ってこさせていたのに。
ガラス窓に乗った葉っぱが揺れるのを眺めていたらもう15時だった。
ピルをのんで、痛み止めものんで、マウスピースをつけて、昼寝をした。
歯の食いしばりがひどすぎて顔じゅうが痛いのである。
泥のように重たい眠りからさめると16:30だった。
また窓の外の葉っぱをながめた。
一時間が過ぎていた。
家主が買っておいてくれたトブラローネを開けた。
好きなものを覚えてもらえていて嬉しい。
これからずっとトブラローネを見るたびにわたしのことを思い出してくれればいいし、トブラローネなんて見なくてもわたしのことを思い出すくらいに染みついてほしいし、やっぱり他人の記憶のなかで永遠に踊り続けたい。
あの人もあの人もあの人も、あの子も君も、みんなリンツとトブラローネとトロピカーナのオレンジジュースを目にするたびに「エンデは元気にしてるかな」と気にかけてくれてると信じている。
そうして気にかけてくれていた、わたしのことが大好きな人のことを思い出し、むかしもらったメッセージを見たら笑って泣いた。
もうぜんぜん好きじゃないけど、愛されていたなあといまさらになって気がついた。
テーブルにあったポテトチップスをすこしつまんだ。
家主はなぜこんな不健康な生活をしていてわたしより健康そうなのだろう。
ずっとひとりみたいな気がしてたけど、みんな優しくしてくれてたのかなって思った。
18歳くらいも今みたいに悩んでもがいて必死だったなと懐かしくなって、mixiを開いた。
自分の書いた日記を読んで、今よりしっかりしてて前向いてがんばろうとしてて、でも落ち込んで自暴自棄になってどうしようもなくて、いや今でもそうかって自嘲気味に笑った。
コメント欄を読んだら、やっぱりみんな優しくて、優しくて優しくて、元気にしてるかなって、ちょっと帰国したくなった。
帰ってもみんながみんな日本にまして東京にいるわけじゃないし、会える距離にいても会えないほうが孤独だからまだ帰らない。
誕生日に書いた日記にコメントが100以上ついていた。
お姉さんたちのコメントが優しくて大好きで泣いた。
みんなわたしより先に死んじゃうかもしれないと思ったらこわくなって泣いた。
早死するために不摂生しないとひとりになっちゃう、と 母子分離過程にいる園児のように泣いた。
ほかの日記には、
「はぶびーんぐだぐだぐでぃんぐだった」
などと書いてあった。
友達の実家でずっとぐだぐだしていた、という意味だった。
もう外も暗くなっていたので、ドイツ語の勉強でもするかとテキストを広げた。
トブラローネを食べた。
求婚を退けたら硫酸をかけられて顔がぐちゃぐちゃになり失明したイラン女性がシャーリアにより加害者の目に硫酸をたらしてよいと言われたけれどなんやかんやで最終的に「もう報復はいらない」とお金だけ要求した、という文章を読んだ。
外国語は、意味をとれなくてもとるために何回も同じところを読むのが楽しい。
コミュニケーションをしようとはあんまり思っていないので、話すのをがんばろうとは思えない。
次のページは、目には目をが活きてるのに賛成か反対か、に対する意見がいっぱいあった。
ぜんぶまとめると、
「まあ気持ちわかるし司法ちゃんとしろよと思うこともあるし根本の理念にはあっていいと思うけどそれをそのまま使うのはちょっと文明化されてなさすぎるよね」
って感じだった。わたしもそう思う。
じゃあどうすればいいのかって聞かれてもわかんないしそういうのはカシコビトたちに任せるしかないですね、我々が生きているのは近代国家なのですから。
そういえばわたしは勉強していると声が出る。
問題を読み上げるし、ひとりごとも言う。
中学の同級生には「テストのときよく静かに解けるよね」と言われた。
それを友達に言ったら「京都人みたいだね。『テストのときは静かどすなあ』」と返された。
あの同級生は生粋の吉祥寺っ子なのに。
トブラローネを完食した。
紅茶も飲んだ。
クリスマス仕様の、シナモンとかフルーツとかそういう味の、おいしいの。
そうこうしているともう夜で、21時を過ぎていた。
家主が「スーパー寄るけど必要なものある?」と連絡をくれた。
テキスト2ページしか進まなかったし集中力がほしいなあと思っていたところなので
「わたしがほしいものはスーパーには売ってません😭😭」
と返した。
mixi日記にも「ほしいものはやる気と才能」と書いてあった。
わたしは昔からがんばれない自分が嫌で、そのくせがんばっても手が届かなかったら悲しいからと70%の力しか出さない人間なのである。
やってるつもりとやろうとしてるは似てるようで別物で、泣くだけ努力していないのに泣かないでと叱られた過去が今も現実のままだ。
お菓子とジュースとアイスをいっぱい買ったよと言われ、わたしは子どもか?と笑った。
ありがとうねえと思いニコニコした。
楽しそうに忘年会から帰ってきた家主に「今日はなにしてた?」と聞かれたから、はぶびーんぐだぐだぐでぃんぐだったと答えた。
すると
「なんでドラクエやってないのー!」
「やるって約束したのにー!」
「勉強ばっかりしてー!」
と返されてお腹がよじれるほど笑った。
酒タバコ同様にゲームの才能もないのでコントローラーを握ろうとはあまり思えない。
笑いながらテキストを片付けていたら
「えらいねえ」と言われた。
ぜんぜん進まなかったけど、嬉しいなあと思った。
ソファでぐだぐだお喋りして、眠そうだったので
「もう寝るねえ寝ちゃうねえ。ベッド行こうねえ」と言うと
「Rauchenもするもんー」とむにゃむにゃしてるのでかわいくて笑った。
Rauchenは喫煙の意である。
「ラウフェンモスルモンさーん」ときゃっきゃして眠りについた。
楽しい一日だった。