Catch me if you can
今までの私、
「できなくてもいい」ってだけ言われたいんだと思ってた。
けど、それだけじゃなくて、
「できなくてももちろんいいけど、できると思うよ」って背中を押して欲しかったんだ。
「生きててそれだけでえらい、でもあなたにはできるはず、それだけの力があると思う」
「やりたくないならできてもやる必要はない、けどやるなら応援するよ、だってあなたはできるから」
そう言ってもらいたかった。
2回目の入院先で出会った人たちにたくさんそう言ってもらって、
嫌な人を排除してきた成果か周りにもそう言ってくれる人が増えて、
私はずいぶんと力をつけられたと思う。
「まあできないことはできないし、楽なところに落ち着くのが一番いいよ」
って言われるの、優しさとか物分かりの良さみたいだけど、結局はできないと判を押されている気分になっていたんだと、気がついた。
あの苦しさはもう嫌だ
できないことはできないけど、できるようになりたいから悩むんだ。
どうでもいいことは気にならないもん、ボールを投げるのとか下手だけど、どうでもいいもん。
とはいえ、20年ぶりに若草物語を読んだりcatch me if you canを観たり、散歩したりパン焼いたり外国人局に3時間並んだり、そういう日々の中でやはり信仰や家族があるのは生きる上で大きな助けになるのでは、などと考える。
信仰心を持つことは私には無理だし、家庭を築くなんて畏れ多くて申し訳なくて、私の生きるよすがはどこにあるのだろう、なんて悶々としている。
また大学で宗教を学ぼうかな、なんて。
あとやっぱり、仮に結婚してそのうえ子を持つなら、女性も働いたほうがいいな、とか考えてる。せめていつでも働ける準備はしておかなければ、って。
せっかく結婚したいとまで思えた相手との生活が、経済なんていうつまらない問題で破綻する可能性をなくしたい。
精神的にも、家庭以外に所属するのは大事だと思うし。
お金のために結婚するのは悲しいよ。
相手にも失礼だし、自分の尊厳も奪われる。
わたしにとっては。
お金がないから結婚するしかなかった、自分で稼げないから他人に依存するしかない、そんなのは悲劇。
わたしにとっては。
好きな人が働けなくなって稼げなくなって暮らしが成り立たなくなった時、数年は自分だけでなんとか生計を立てられるだけの能力とか、人脈とか、社会的なステータスが欲しい。
やっぱり仕事はすべきだ、人と生きていくのなら。
共に歩みたい相手との暮らしを経済的な問題で諦めるなんて、悲しすぎる。
フェミニストと専業主婦は相容れなくないから、別に働く必要がないなら働かなくてもいいと思うんだ。
フェミニストって、ただ嫌なことは嫌ですって言おうねっていう、当たり前の主義じゃない?
子を産み育てるとか恐怖でしかないけど、好きな人の子供がお腹の中にいるって、絶対に幸せじゃん。とかも思う。
めちゃくちゃ責任とか感じるだろうけど、何にも変えがたい喜びなんじゃないかな。
好きな人と暮らすとか、結婚するとか、最高じゃん絶対。
だから、結婚したいとまで思えるような人の子供って、ぜったいぜったいぜーったいに特別じゃん。
予定はないけど、いざそんな気持ちになったときのために、不安要素を少しでも減らしておきたいな。