誕生日は毎年必ずやって来る
10月2日、亡くなった親父の誕生日、生きていれば73?もうご立派なおじいちゃんだね
去年のnoteでそこそこ重たい内容を書き殴ったので今回は少しだけ緩い内容を。
ー親父と過ごした数ヶ月の事ー
去年のnoteにも書いたが親父が亡くなる数ヶ月前、就職が決まっていて会社の寮に入る事も決まっていた。
そんな中俺は兄と大喧嘩をし、俺は就職までの数ヶ月間、親父と一緒に暮らすことになった。
この数ヶ月を思い出すとちゃんと覚えてるのはこの3つ
・出前の寿司
・焼肉でん
・一緒に酒を交わした夜
・出前の寿司
当時アルバイトをして定時制高校に通っていた俺、新宿という土地柄で働いていた事もあり土日は出来れば出て欲しいと言われていたので平日休む事が多かった。
平日休みで寝ていると親父が俺を起こし、寿司でも取ろうやと寿司を頼んでいた。
しかしいつ頼んでも親父の大好きなつぶ貝がなく、赤貝ならあると言われる。
親父はその事が大変不満だったようで電話で注文してるのは俺なのに「何でいつも無いのか聞いてくれるか?」と毎回言われていたが毎回無視して注文、電話切った後に「まぁ良いじゃないの、無いんだよ」って言うと納得いかないわーって顔していました。結局1回も無かったんじゃ無いかな?記憶曖昧だけど
・焼肉でん
上記のように平日休みで昼まで寝ていると人工透析を終えた親父が車で帰って来る、それに気付いて俺が電話かけると「じゃあ焼肉行くぞ」と言われ俺は1階の車まで降り、いつも行っていたのが「焼肉でん」
チェーン店だが値段が手頃でそこそこ美味しかった記憶がある、しかし毎回行く度に彼はビールを頼み「飲酒運転だよ」って言うと「呑まないと食欲湧かないんだよ」って言うのが毎回定番だった。だから毎回飲酒運転して帰ってましたね、もう22年前、当人は亡くなってます、司法関係者が見ていたら代わりに謝ります、誠に申し訳ございません←
この前ふと思い出して調べたら関東地方は撤退してる模様、またいずれ行きたいなと思う。
・一緒に酒を交わした夜
いつだかはもう覚えていないが2、3度一緒に酒を呑んだ事がある。
当時未成年だったので氷結かなんかを呑み、親父はラガービールを呑んでいた。昔は一番搾りばかり呑んでいた記憶があったけど、俺と呑む時は決まってラガービールだったな。
親父「お前は煙草は吸わないのか?」
俺「大層吸ってる方が近くにいてね、小さい頃臭くってさ、良いイメージ無いから一生吸わないね、誰だろうね」
親父「wwww」
俺「親父は弱点って無いの?」
親父「太ももとかをすーっと触られるとくすぐったくね、昔からダメなんだ」
俺「へぇー(触る)」
親父「いやwやめてくれw」
俺「昔散々色々やられたからさ」
親父「悪かったw」
こんな会話をした記憶がある。そんな俺は今はガンガン煙草を吸っている。一時期止めていた紙巻きも復活してしまうほどに。
実はそんな思い出を思い出すきっかけがあった。その当時よく聞いていたGLAYのアルバムの曲が朝の通勤時にミュージックをシャッフルしてたら流れてきてぶわっと思い出したのだ。
それがこの曲。作詞作曲をしたリーダーのTAKUROは幼少期に父を事故で亡くしてそんな思い出を交えつつ作ったという曲。歌詞の一部はTAKUROの実体験だそうです。
GLAY / Father&Son(“GLAY Anthology presents -UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY 20...
https://youtu.be/uxWyM8pOwOU?si=Ol7ejmdT6jUqt9OK
二日酔いでフラフラだったけどこの曲を久しぶりに聴いたら胸が熱くなった。
肉親の誕生日、覚えていますか?思い出すだけでも良い、もう会えない人には心の中でおめでとうって言ってあげるだけでも良いんじゃないかな?
この曲の歌詞の一部にこんな詞がある
「貴方が愛した人は 今も元気でいる」
親父、誕生日おめでとう