輝くあなたはどこへ行くのか
最近読んだ本と舞台のこと
・ウエハースの椅子/江國香織
読むの3回目くらいかな。同じ本を繰り返し読むことは多い。
ウエハースの椅子は主人公が未来のなさそうな恋愛を続けている話で、とにかくものすごい孤独に包まれている。しかしそこから出ることもないし、出ようともしていない。
終わり方の圧倒的な孤独に毎回突き放される。誰かと一緒にいても突き詰めればひとりだ、という思考なのでこういう孤独を読むと安心する。
・TUGUMI つぐみ/吉本ばなな
強気で何でもはっきり言う、美しく体の弱いつぐみと過ごしたひと夏。恋愛と理解って、やっぱり遠すぎる。重なる時もあるけどさ。相手の理解できるところだけ見せてしまうのだって恋だし、たまには愛にもなるでしょう。本当に理解なんてしてしまえば、恋愛のように酔っ払った愛し方なんかできない!
この前、「結婚しないと一人で狂っていくなんて辛くない?」と言われ、「だって結婚ってお互いに狂っていくのを受け入れるってことでしょ」と言ったら、そうだよ。て言われて、ヤベー!と思った。一人で狂うのも辛いが、狂っていく他人を受け入れるなんてできるのかな。
本当に愛した人(本当に愛した人?)ができた時、その人が「どうしておまえなんだろう? しかしなぜか私の周りでおまえだけが、私の言葉を正確に判断し、理解することができるように思えてなりません」なんて他人に言っていたら気が狂っちゃうかも そんな狂うような信頼が大好き!という気持ちになりました。
・音楽劇 ライムライト
「ライムライトの魔力 その光の中にスターは登場する その光からスターは去っていく」本編映像でこの台詞を聞いた時、この舞台が必要かも、と思って見に行った。
今もまだ作品の中にいるのかも、と思わせる物語は存在する。ライムライトはそういう作品で、今も私はあの劇場にいて、テリーを見つめているような気がする。運命みたいな一日だった。輝きこそが、輝きだけが永遠なのかもしれないと思った。でもその光に照らされることは生きる意味にもなって、一度照らされてしまえば暗闇へと戻る可能性を受け入れないといけない。
「愛なのか?それとも哀れみなのか?」という台詞が出てくる。メインキャラクターの3人はそれぞれに愛を持っており、与えられたものが愛なのか哀れみなのか区別できていない。
愛と哀れみの区別は最後までわからなくても、生と死だけは明確に示される。結局何の意味があるのかさえわからない、それでも時々どうしようもなく美しい人生そのものが表現されるのを見た。舞台の上で!本当に素晴らしかった。残酷で、美しくて、私はここに魂を置いていきたいと思った。
舞台の素晴らしさは、派手なセットや演出だけが得られるものではない。計算された緻密な、それでいてしなやかに動くことのできる確かな力のある人々によって作られた美しく素晴らしい作品だった。
人生の素晴らしさを説かれても私はわからないので、多分この作品をしっかり理解して前向きになれた、とかではないと思う。好きな人たちはいて、あらゆるものを楽しめる気さえするのに、時々急にあらゆるものが自分から遠く感じられてどうでもよくなる。たまに頬にあたる風が冷たくて気持ちいいからまだ生きているだけ、みたいな感じ。瞬間だけが真実なので、なるべくいいものをたくさん見たいと思う。はやくこんな思考からは抜け出したいです。
「そのすべて、風とか光の具合、一秒もはずせなかった精巧で美しいなりゆき」
─「ハチ公の最後の恋人」吉本ばなな