カードごときに…何が分かるの?
高校生の娘は言う。
「カードなんかに何が分かるの? そんなものに頼らなくても自分の事は自分で決めるし! そんなの嫌い」
※方言は標準語に変換させていただきました。
(母)…………ごもっともです。
でも娘は自分では何も決められず、日常のことは私にすべて聞いてきます。(洋服やらなんやら)
「そんなこといい加減自分で考えて決めて!!」といつも怒っている私。
でも カードに聞くのは娘のプライドが許さないようです。
正直、私も以前はそう思っていました。
"なんでカードで分かるの? そんなの偶然じゃん"
占い好きな私、統計学を元にする占いや、透視などに興味をそそられ、噂を聞いてはそこに出向いてた私。
タロットカードには全く興味がなかった。
でもある時から変わった私。
今は声を大にして言う。
「タロットカードを信頼して損はない」
声を大にして言うほどのセリフではなく、中途半端ですみません(^^;)
ま、そんなもんですが、本当にあなどれないのです。
信じたぶんだけ人生は変わります。
それは本当です。
義理姉が私の兄と結婚したきっかけをこう言ってました。
「職場を出る時、いつも右側を通るのに その日だけ左側を通った。
あの日、いつものように右側から帰っていたら、きっと違う人と
結婚してた」
義理姉は、ずーっと付き合っている彼氏がいて、兄のことなど眼中にはなかった。
でもその日、兄は近くを通った義理姉に"今しかない"と勇気を出して声をかけ、食事に誘った。
姉は"その日"だったからその誘いを受けたけど、普段なら行っていない。
だからその日に右側を通ってなかったら、今の結婚はなかった。
義理姉曰く、そう断言する。
(前の彼と結婚しなくてよかった…とのフォローもつけて)
この話が、カードを引く意味と大きく関係します。
"人生は偶然の集合体"
たまたまあの時…たまたまあの場所で…たまたま発したあの言葉が…
私にも「あの日があるから今の旦那様と結婚した」という"あの日"
があります。
一ヶ月間ずーーーーっと友達の家に泊まりこんでた時期、一日だけアパートに帰った"あの日"。
その日に電話がありました(他の日には電話かけてないそうです)
あの日私が家にいなかったら私たちは再会していない、きっと。
※再会というのは元彼だったので(^^;)
あの日私が家にいなかったら旦那様との再会はなかったです、多分。
偶然と言えば偶然、必然と言えば必然。
ってことで。
日常の偶然は「運命」だけど、カードの偶然は運命ではない?
カードが現す偶然も、日常の偶然の成り立ちの中の一部。
しかもカードに関しては
「今の私に○○を教えてください」と念を入れた上での偶然です。
普通の偶然より信頼できます。
私は断言します。
だって本当にピッタリのカードが出るんだもの。
本当なんです。
カードからのアドバイスは思考の成長を促します。
私はカードを信頼できるアドバイザーと思ってる。
信じるか信じないかはあなた次第、って感じですけど。。
カードの信憑性の押し売りするつもりは全くないです。
正直そんなんなくても、人間は障害にぶつかりながら自然と成長していくものだしね。
娘の言葉はごもっともだとも思っています。