試練。
「その人に耐えられない試練はやってこない」と言います。
人により、試練にもレベルがあるということらしいです。
それが本当のことなのかどうなのかは…調べようがありません。
でも私はその説を信じています。
私は西洋占星術も好きで独学で勉強をしているので、それで例えてみます。
占星術とは…太陽系の惑星の動きを見て、運命をみていく統計学。
月の動きと海の潮の満ち引きや、人の誕生の時期が関係していることは周知の事実ですよね。
宇宙と地上は連動して動いているのです。
牡羊座から魚座まで描かれた一つの円上を、私たちは日々進んでいく…という風に占星術では考えています。※これは恐ろしくざっくりした説明です
グランドのトラックをグルグルと走っているように、この円に描かれている星座の上をグルグルと周っているのです。
そして前進する上で、その場所ごとの試練に私たちは遭遇します。
それは成長の為の試練です。
その試練を乗り越え進んでいくうちにその円を一周してしまいます。
でもそこで試練が終わるわけでも、人生が終わるわけでもありません。
人生のチャレンジは2周目に突入。
そして2周目は同じ場所を再度回るのではなく、螺旋階段を上るように、同じ場所の少し上の空間を一歩一歩進んでいきます。
以前の少し上を歩いているので、前回試練と感じた出来事に遭遇しても、その時は試練とも思わずなんなく進んでしまいます。
次はまた、以前とは違ったレベルの試練がやってくるのです。
そうやって、ゲームでレベルアップしていくように、次々といろんな試練を攻略しながら日々進んでいく。
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占星術で例えてみましたが…
少なくとも、占星術では人それぞれの試練のレベルがあるようです。
螺旋階段の一周目を進んでいる時には、10週目の試練は目には映りません。
居る空間が違うから。
……なーんて言ったら、また違う世界に飛びすぎですかね。
でもそうなんです。
1週目を進んでいる赤ちゃんと、10週目を進んでいる小学生では悩みが違うでしょ⤴
同じ両親だとしても、赤ちゃんには見えない両親の不仲が、小学生の頃にはハッキリと見えて、それが大きな試練になりうる。
小学校の頃悩んでいたことが中学の時には気にならなくなって、違うレベルの悩みになってる。
解説が単純すぎかもしれないけれど、試練をどんどん克服して私たちは大人になる。
大人になるにつれて、子供の頃にはなかった「責任」という試練に襲われる。
こんなこと言ってたら
"試練試練試練続きじゃないかーーーー!!"
と人生をおもーーーく感じてしまうけど。
分かっちゃいるのにやめられないのが、レベルアップのゲーム。
自分よりちょっと上のレベルを段階順に持ってくるのが魂さん。
そして一つ攻略したら、その先にはそれ相応の達成感と充実感、なんとも言えない快感というご褒美が待っている。
そして順調に進む時はとてもとても楽しい♪♪
ちょこちょこと楽しい時間を挟みこんでくる。
どうも、楽しいからとそこにとどまろうとすると、人間はその状況に飽きてしまって、そこにとどまることもできず退化してしまうらしいです。
ちょっと上を目指して、頑張って日々進む。
それがちょうどよい按排。
いやちょっと待って!!
自分には抱えきれない程の試練がやってきたぞーーーっ!!
って思ったとしても…それは抱えきれないことではないはずです。
あなたにやってきたということは、その状況に翻弄されているということは、その世界があなたに見えているということは、あなたはそのレベルを攻略するほどの所までやってきているということです。
一気にそのレベルが見える次元まで自分が上昇してしまったのかもしれません。
攻略の先には、かならずその試練と同レベルのご褒美があります。
最後に、人生の根底に根付いているであろう外せない一言を。
“人生は楽ではない”…( ̄。 ̄;)
人によるとは思うけど、私はそう思うと諦めがついて楽になります。
多少の試練は気にならなくなる。
“チャレンジ続きの人生をどれだけ楽しく過ごせるか!?”
人生とはそんなゲームなのかな~?
なんて思ったり思わなかったりしてますが…本当の所はよく分かりません。
生きる意味は、各々で見いだすしかない。
正解を神様はどこにも記してくれてないから。
でも答えがなくていいです。
そんなことをボーッと考えるのが私の趣味だからです(*^^)♪
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