心の中のちっちゃな自分。
「自我」と「大我」
スピ好きな人には馴染みのある言葉。
自我=エゴ、個人の意識。
大我=宇宙をつかさどる全体の意識。神の意識(?)。
自我はわがまま、自分勝手の塊。
自分を律せず無意識な状態の時、ガンガン主張してくる私の自我( 一一)
他人の言動に "いや、それ違うだろー! 違うだろっ!!" とかね。
※最近よくテレビで見る言葉を遣ってみました
心の中で自我(エゴ)のスイッチは入りっぱなし、無意識に発動しまくり。
そんな自我はどうしてできるのか?
それは生まれ持ってるものではない。
自我の芽生え…というように、自我は徐々に芽生えてくるもの。
<私の中での仮説>
"自我=エゴは我慢の塊"
意識が芽生えると、人は徐々に我慢を強いられるようになる。
泣けば抱っこしてもらって、おっぱいをもらえる。
それが通常だったのに…言葉のやりとりが出来はじめると急に
「泣いてはだめ」と言われるようになる。
お腹すいたくらいで"泣くな"
転んで痛いのに"泣くな"
喧嘩して負けて悔しい時も"泣いたら負けだ"
そのうち 人前で泣くことは恥ずかしいことだと 、"泣く"を我慢することを覚える。
その意識は大人になるごとにどんどん強くなり、涙もそうそう出なくなる。
それと共に、心の内と、表面上の自分というものが別人として出来上がってくる。
人の体は自然の摂理と一緒で、うまく循環するようにできている。
菌が入れば、熱でやっつけたり、下痢になって排出したりと。
涙だってそうだ。
自然に出てくる涙は、我慢せず流したほうがいい。
悲しくても、いっぱい泣けば次の日は少し落ち着いて笑えたりする。
「悔しい!!!」と大泣きすれば、"よし!負けるもんか!!"と心新たに頑張れる。
でも我慢して涙を閉じ込めると…流れられなかった涙は氷のように固まって心の中に蓄積されていく。
その塊が大きくなるごとに、自然と湧き上がってくるはずの感情の居場所が狭まる。
でも人間の体はうまくできているから
生きるために、その塊に役割をもたせる。
自分を守るべく、その塊はエゴとなって、自分を守るため、周囲の人たちと戦う戦士となる。
エゴは、ずっと我慢を重ねて戦ってきたちっちゃなもう一人の自分。
自分の中の一番頑張っている自分。
いつも独りぼっちで戦ってる、実はちょっと寂しい自分。
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最近あるカードを引いてから、自分のエゴについて考えてます。
エゴは今の私のマイブーム。
ちょっと面白い( *´艸`)
長くなるから続きは次回にまわそう。
次回は私流のエゴの癒し方~❁❁❁