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不安の正体。
失恋はとても苦しい。
でも考えてみたら身体のどこをも痛めているわけではない。
痛いのは心。
心って? 心の場所は…胸の奥?
いやいや胸にあるのは心臓で、心臓では何も考えられない。
考えるのは…そう、頭の中にある脳みそ。
ということは、脳みその一部が寂しさを感じ取っているだけのはず。
失恋の喪失感、痛みはとても大きい。
でも実際に痛みを発信してるのは、脳みそのほーーーーーんの小さな小さな一部分。
数年前、銀行で順番待ちをしている時にたまたま読んだ雑誌にそんなことを書いていた。
それは科学か何かの学者の方(だったと思う)が書いた文章だったから、こんなラフな書き方はしていなくて、でも簡潔に分かりやすく記載されてた。
私はその文章がすごく印象的で、時折その文章を思い出すようになった。
失恋話を聴いた時や、自分が寂しさを感じた時なんかも。
「私の身体はどこも傷んでいない、脳みその一点がそう感じさせているだけだ」って風に。
実は最近も少し寂しく感じることがあって
やっぱりその言葉を自分に言いきかせてみた。
でもそんなことで心が晴れる訳ではない。
でも毎回不思議に思う。
どこも痛めてないのに、自分の脳みそをコントロールできないものか?と。
不安を消そうとしても、もう大丈夫だよ~なんて表面上の私が思っていても…「ぼくはここにいるよ」って心の奥底に居座ってて離れない。
不安な気持ちなんていらない、自分を委縮させるだけで、必要のないものだと思っていた。
でもそうでもないかも?と今思っている。
だって不安はいつか解消する。
解消できた時の安堵感は何ともいえない。
例えばパートナーに対する愛情面の不安であれば、不安に駆られている間に相手をもっと大切にしようと思い返しているはずで、それなら関係は前よりきっと良くなるはず。(ま、何度も同じこと繰り返すのが人間なんだけどね)
そして健康の不安なんてのもある。
ずっと健康で医者に全くかからなかった母親が最近過去にない身体の痛みを訴えて病院に行った。
全身を調べたほうがいいということで、生まれて初めて胃カメラや腸カメラなどの検査もした。
昔から気丈な母は不安な感情など口にはださない。
昨日結果を聞くため久々に実家に電話してみたら
とてもご機嫌な母が「何も異常がなかったから久しぶりにお父さんとビールを飲んでいる」とのこと。
70を過ぎてビールを飲み始めた母、最近そのビールも飲んでなかった 笑
ほんと私も安心した。
不安な間に人はいろいろ考える。
対人関係でも、自分の体に対しても。
だから不安ってのも、気分を引き締めるため、日ごろの態度を見直すためにいいのかもしれない。
そして、不安が解消した時の思わず乾杯したくなるような安堵感と幸福感を味わう為にもね。
今日は春の陽気、心も体もスッキリでとても気持ちのいい日です❀
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