9.Once 仔牛のコルドンブルーとフォンドヴォー
フランスは肉食文化の国だ。
日本では馴染みの薄い肉が鴨、兎、ほろほろ鳥、うずら、猪、鹿、羊、雉、鳩などずらりと揃っている。
加工品も生ハム、ベーコン、ソーセージ、パテ、テリーヌ、コンフィと多種に富んでいる。
日本でも一般化されてきたが、牛、豚、鶏の部位ごとの調理や内臓料理など、とにかく無駄のないようにすべてを食べ尽くす。生き物への感謝としか言いようがない。
そしてその中で私達フランス料理人が最も欠かせない肉がある。それが仔牛肉だ。
生後6か月未満ほどの牛を総称し、まだ牧草などを食べておらず、乳牛だけで育った肉だ。肉質は非常に淡い味わいで、色も牛肉のような赤ではなくピンク色だ。牛よりは癖を除いた豚に近く、ほのかにミルクの香りがする。柔らかくて、すべてが奥ゆかしい、とにかく優しい食材だ。粗雑に扱う訳にはいかないだろ。
なぜそんな仔牛肉が最重要かというと、じわじわと一般的になりつつある最強調味料、フォンドヴォーを作るからだ。
直訳すると仔牛のだしという意味のこのフォンドヴォー、よくデミグラスソースと混同されがちだが、少し違う。全く違う訳ではない。似てはいるが、近いようで遠いのだ。夢と現実のように....恋と愛のように....叶わない恋と叶わない愛のように....叶った夢と叶った後の現実のように....
デミグラスソースは香ばしく焼き上げた牛すじ、香味野菜、トマトペーストなどを2週間ほど煮出したジュ•ド•ブフ(Jus de bœuf)にバターや小麦粉などを加えて作ったソースであり、その力強い個性から用途はほぼ牛肉料理に限られる。
試しに焼いた魚にかけられたデミグラスソースの不釣り合いなハーモニクスを想像してみてほしい。燃え上がるルーブル美術館だ。フランス料理最強のソースだが、強過ぎる個性ゆえにすべてを支配してしまう味なのだ。
そしてフォンドヴォー......仔牛の骨とすねやばら肉、香味野菜、トマトペーストを3日ほど煮出して作り上げる。非常に面倒で材料を揃えにくい仕込みである。
このフォンドヴォーがあらゆるフランス料理の基礎となる。和食でいう1番だしともいえるし、醤油であるともいえる。実際フォンドヴォーこそがフランス料理を難しくしている1番の原因だと僕は思っている。こんなの一体誰が作るっていうんだ?こんなに面倒なことをやって、やっと車に乗ったところだ。今から地図を広げる気には普通はなれない。だから僕達の仕事がある。参入障壁の低い飲食業界における、唯一の未開の地。ナチュラルボーン•ブルーオーシャンであるフランス料理屋の地図.....その象徴がフォンドヴォーだ。
フランス料理は足し算の料理だと思う。その理由がフォンドヴォーにある。フォンドヴォー自体は結局のところ、ただの優しい味わいの出し汁なのだが、これがほぼ全ての食材や調味料と組み合わさる。ほぼ全てだ。
赤ワインなら赤ワインソース、マデラ酒ソース、ポルト酒ソース。魚用のヴァンブランソースに合わせればアルベールソース。すべての肉類に、海老やサーモン、白身魚、青魚だって合う。エスカルゴや貝類、野菜全般に果物、チーズや生クリーム、バターなどの乳製品、ハーブや油、トリュフ、フォアグラ.....
おそらく世界最強の汎用性だと思う。ソースやドレッシング、煮込みなど、フランス料理屋をオープンさせるならこれがないと始まらないのだ。
コルドンブルーという料理はあまり馴染みのない名前かもしれない。ウィーンではシュニッツェルと呼ばれる料理.....いわゆるカツレツのフランス料理版だ。
仔牛のロース肉を開いて、中にハムとエメンタールチーズを入れて包み、パン粉をつけて焼き揚げた料理だ。こういった素朴なフランス料理がもっともっと浸透してほしいといつも願ってる。
イタリアでは生ハムとセージと仔牛肉を重ね焼きしたサルティンボッカ、骨付き仔牛すね肉のトマト煮込みであるオッソブーコなんかが有名だ。とにかく淡く優しい味わいなので、ベーコンやハム、チーズ、香草バター、ピカタ、パイ包みなどの濃厚な組み合わせにすると最高の味を引き出してくれる。料理人としては非常に遊び甲斐のある食材だ。
ソースはもちろんフォンドヴォーを使う。こいつがあればどんな緊急事態にも対応できる。きのこをバターソテーして、フォンドヴォーと生クリームを入れれば、いわゆる馴染みのきのこのクリームソースの出来上がりだ。フォンドヴォーに生の刻んだトマトとバジルを入れてオリーブ油を入れよう。ソースヴィエルジュの出来上がりだ。なんだって出来上がる。そしてコルドンブルーにかけよう。仔牛に仔牛のソースがかかってるんだ、もちろん最高に美味しい。
そして付け合わせを考える。濃厚な料理だから、さっぱり温野菜でいいだろう。あるいはカツレツに寄せて、千切りキャベツにバーニャカウダを和えたアンチョビキャベツでもいい。
足し算、組み合わせ、調和、解体、再構築、足りないものを足す、減らしたものを補う....僕はいつもそんな事を考えてる。そしてかつては愛せれた自分をまた愛せれるようにnoteを書いている。ただの素朴なフランス料理がほんの少しでも浸透してほしい.....僕のひっそりとした願いだ。それが僕にベストを尽くす力をくれる。少しでも、ほんの少しでもフランス料理の知名度が上がりますように....