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子育てを行う自分の手についての考察
子どもが生まれたら、やっぱり生活は一変した。
それはまるで大きな竜巻が家の中に入り込んで一瞬にして部屋をぐちゃぐちゃにして、それから自分たちの持ち分の時間をも奪っていく、そのような感覚だった。
片付けたはずの部屋はあっという間に散らかっていく。朝がきた次の瞬間は夕方だ。季節が自分史上最速で目まぐるしい。庭に植えてある梅の、満開の様子を楽しめなかったなと思っていたら、気づけばひぐらしが鳴いている。桃色に染まる夕焼けに秋の片鱗を感じる。
息子の登場によって、二本の手だけでは足りなくなった。少し前までキーボードをひらひら舞うくらいが日々の運動だった手指は明らかに過労働を極めている。
両手で抱っこしているときに床に落ちてしまっているエアコンのリモコンを拾えて、足元に身体をこすりつけ、ニャーニャー甘えてくる猫の頭を撫でられる第三の手が欲しい。こちらの手が空いたころには猫たちの気分はとっくのとうに別のものへと向かっている。
生後5ヶ月を過ぎて、息子はうつぶせの姿勢で絵本の端を持ってくれるようになった。これ幸いと思い、私は彼が絵本を読んでいるあいだ、口ではすっかり暗記した絵本の文言を読みながら手は高速で別の家事を行う。寝かしつけたあとは家事ではなく、仕事や自分の時間にあてたい。
『にこにこ』という赤ちゃん用の絵本を息子はとても気に入っていて、一日何度もふたりでその絵本のページに挟まれているおともだちに会いにいく。
ふにゃふにゃした頼りない手でお気に入りのページに戻り、何ページかスキップする。話の途中で突然バタンと閉めて、その音にケラケラと笑い声をあげる。いつまでも表紙の太陽に見惚れて、それを口で味わおうとする。
大人の考える本の規範にとらわれず、彼が自由に絵本を楽しむさまはとても愛らしく、ふと洗濯物をたたむ手を止めて見入っているとき、私の手は束の間の休息を与えられている。
キーボードの上に置かれた自分の手をふと眺める。
手の甲が今まで見たことがないくらい日焼けで黒くなっている。これまで以上の頻回な手洗いのせいで全体的にカサついている。ネイルが趣味だった私の爪は、今では白い部分が見えなくなるほど短く切りそろえられて、息子の口に入ってもいいようにネイルはお預けだ。
私の身体のどこからでも母乳が出るものだと思っていて、気がつくと肘や指や太ももから水分補給を試みる。
もう随分長いあいだ磨いていない左薬指の結婚指輪と、大学生のときに母に買ってもらった右小指の銀の指輪はすっかり鈍色に曇っている。爪が短いせいなのか、指が心なしか太くなり、関節にシワが多く寄るようになった。
新しい役割を多く担っているこの手に既視感がある。
母の手だ。記憶にある今より少し若いころの母の手にそっくりになっている。
そして私は母と同じ手になったことをとても誇らしく感じている。
大きいほうの猫がパソコンの画面と私のあいだに割って入ってきて、私の働く手を自分の頭にのせるようにぐいっと懐にもぐりこんできた。ふわふわの向こう側の猫の体温がじんわり疲れた手指に心地よい。
しばらくブラッシングをしてあげていなかったせいか、少し撫でるだけで茶色い毛が、パソコンの明るい画面の前で宙を舞うのがよく見えた。